悲しみとどう折り合いをつけるのか

今さっき、癌で妻を失った方の記事を読んでいたんですが、やっぱり仲の良い夫婦ほど、相手を失うことが堪え難い苦しみになりますよね。

その記事によると、若くして亡くなられた妻のために、残された夫君が闘病記を出版されたそうなんですが、おしゃれだった彼女に似つかわしい、まるでファッションブックのような趣の本になったとの由。おそらく、天国の奥様もお喜びなのではないかと思います。

ただ、どうやっても、残された者の胸のからっぽは埋まらない。確かに亡くなった人は可哀想だけれど、そこで歩みを止める。一方で、残された人々は前へ歩を進めねばならない。この悲しみをどう受け止めればいいのか。どうやって折り合いをつければいいのか。


私も父を癌で失ったんですが、その悲しみは筆舌に尽くしがたいものでした。子を持つとそれがよく分かるんですが、親というのは本当にありがたいもので、ただ子であるというその事だけで、無条件に自分を愛してくれる存在です。賢いからとか、かわいいからとか、そんな事は何の関係もない。ただ、子であるがゆえに無条件に愛される。

父が亡くなったのは、私が三十歳の時のことでしたが、父の死を本当に受け入れるまでには少なくとも五年ぐらいは掛かったような気がします。情けない話ですが、私は三十歳でもまだまだ子どもだったのだと思います。私は父の愛をまだまだ受けたかった。

意識を失って、全く意思の疎通が出来なくとも、生きていてくれるだけでよかったんです。生きていてくれさえいれば、私は(大げさかもしれないけれど)愛を感じて強く生きられる。父が死の床についてから、何度そう思ったかしれません。

だから、どうしても、どうしても、父が世を去ったという事実が受け入れられませんでした。もちろん、社会生活の上では、葬儀を取り仕切り、弔問客の応対をし、相続の処理を行い、というようにせねばならぬ事を滞りなく処理してはいきました。

でも、それは社会的な役割の話。大人なら何ということのない話です。問題は心の中の話。心の中で「父との別れ」にどうしても決着が付けられない。この強大な悲しみとどう折り合いを付ければいいのか。

今となってみれば、それは「時間の問題」であるとしか言いようがないことが解ります。時が全てを解決してくれる。

もちろん、その時も、「時が全てを解決してくれる」ということは頭では解っていました。ただ、理屈で解ることと心で納得することは別の話です。

「時が解決する」ということは、時が経てば悲しみが薄れるということではないか。それは私が父のことを次第に忘れていくことを意味しているではないか。そんな薄情なことがどうして受け入れられるというのか。俺はどうしても受け入れられない。

その頃の私は、心のどこかでそう思い、悲しみが薄れることを恐れていたように思います。悲しみが薄れることを願うことがまるで不謹慎なことであるかのように。


そんなある日、ある精神科医が書いた文章にたまたま触れました。おそらくはどこかの大学入試現代文の問題文だったはずです。「身近な人の死の受容」とは全く無関係な文脈で、概要このようなことが書かれていました。

人の心は悲しいことがあると、ぐっと傾いてしまう。ちょうど、天秤ばかりのように。その悲しみが重ければ重いほど、なかなか元の平衡状態に戻らないように思える。

でも、天秤ばかりのもう片方の皿に、少しずつでも喜びを載せてゆくと、ゆっくりゆっくり平衡状態に近づいてゆく。時間はかかるかも知れないけれど、気がつくと平衡状態に戻っているものである。だからあまり悲しみに深入りせず、少しずつ喜びを増やしてゆけばよい。

私は、この話を読んで、目の前が開けたような気がしました。新しい視点を与えてくれる、この素晴らしい比喩。

この比喩をもとに私はこう考えました。

父の死を失った悲しみが消えてしまうのではない。消えるはずがない。いつまでも、天秤ばかりの悲しみの皿の上に載り続ける。

でも、その一方で、日々の小さな喜びがもう片方の喜びの皿の上に重なってゆく。そして、その喜びの重みがいつか悲しみの重さとバランスが取れる日が来る。どんなに重い悲しみでも。

悲しみも、喜びも、いずれも消え去ってゆきはしない。いつまでも心の天秤ばかりの上に残り続ける。そしてその重みは人生を重ねるに連れてどんどん増してくる。それこそが人生の重み。

悲しみは忘れなくて良い。それも人生の重みを増してくれる大切なもの。日々の小さな喜びも大切。悲しみの重みとバランスを取るのに役立つだけではない。悲しみと同じく、いつまでも人生の天秤ばかりの上に残って、人生に重みを加えてくれる。

実際、生徒さんが喜んでくれたとか、仕事の上で感謝してくださる方がいらっしゃったとか、そうした日々の喜びが、私の「喜びの皿」に重なっていったことが、悲しみとのバランスをとるのに、本当に大きな役割を果たしてくれたんですよね。

そういう意味で、生徒さんや保護者様の方々には心から感謝致しております。今ごろ告白するのも何ですが……。


最後になりましたが、大切な人を失って失意の底に沈んでいらっしゃる方がいれば、または、いつかそんな日が来てしまったら、この「天秤ばかり」の比喩を少し思い出していただければと思います。

亡くなった人を忘れなくてもいいんです。悲しみは無駄ではないんです。あなたの人生の重みを増してくれるんです。時間はかかるかもしれないけれど、日々の小さな喜びの積み重ねが、いつかあなたの心のバランスを元に戻してくれる。その時、あなたの心は、今までよりもっと大きなものになっているはず。

だから、悲しみの日々の中でも、小さな喜びを捕まえて欲しい。そして徐々に笑顔を増やして欲しい。亡くなった人もそれを望んでいると思います。

「悲しみとどう折り合いをつけるのか」という問いへの、私なりの一つの答えです。