難関中学入試では「詩」が出題されることがある
決して多くはありませんが、中学入試で「詩」を出題する学校があります。関西で言えば、灘中学や神戸女学院中学などです。
詩の技法や分類を問う単純知識問題ならば、特に難しくはないんですが、難関校ではそんな生易しい問題は出されません。小学6年生からすると、題意の把握に困難を感じるような問題が非常に多いんですよね。
この記事では「散文詩」を念頭に置き、私の思うところや当塾での指導について書いてみたいと思います。
入試問題における「詩」の難しさの本質
まず、詩に関する知識、つまり、詩の分類や技法を押さえておくのは当たり前。分類(「口語詩」や「文語詩」など)、技法(「体言止め」とか「隠喩」の類)の意味と効果などは、どんな参考書にも掲載されていますし、どんな塾でも教えていると思いますので、ここでは特に言及しません。知識はちゃんと覚えておきましょう。
次に、「詩」の特徴について。「詩」は字数が少ないので読むのがラク!と喜ぶ生徒さんが時々いますが、分かっちゃいねえな、シロウトさん。国語という教科のことがよく分かっている受験生ほど、字数が少ないからこそ難しく解きにくいということを理解しています。
ではなぜ字数が少ないと難しいのか。それは文字から与えられる情報量が乏しいからに他なりません。論説文や説明文であれば、何らかの根拠が文中に示されていますし、小説であれば登場人物の感情を表す表現がどこかに置かれています。ところが「詩」に関しては、そうした根拠が示されていないことが多い。言い換えれば、作者・読者間の「暗黙の了解」をベースに置いた作品になっていることが多い。
別の言葉で言えば、難関中で出題されるような「詩」は、極めてハイコンテクスト(high context)なものであることが多いわけです。「ハイコンテクスト」はちょっと難しい言葉かもしれません。辞書の定義を紹介しておきます。
ハイ–コンテクスト[high context]
[名]互いの価値観や経験則が近いために、事柄の背景や状況などの詳細を説明しなくても、相手が何を言いたいのかを察することができること。
(明鏡国語辞典第三版より引用)
小学生にも分かりやすく言い換えると、「ハイコンテクスト」とは、「わざわざ言葉にして説明しなくても常識的に分かるでしょ」という状態です。
そもそも、日本語は極めて「ハイコンテクスト」=「文脈依存性が高い」とされる言語ですが、その中でも(難関中で出題されるような)「詩」は、さらにその「ハイコンテクスト」の度合いが際立っているわけです。
ゆえに、「詩」の読解は、「文字で書かれた部分」に対する理解だけではなく、言語外の状況、社会システム、慣習、文化などという「文字で書かれていない部分」に関する理解に大きく依存することになるわけです。
以上が入試問題における「詩」の難しさの正体。
中学受験生は「文字で書かれた部分」を理解するのは当然ですが、「文字として表れていない部分」も理解して身に付けておかなくてはなりません。もう少し詳しく言えば、広い意味での「人間に関する理解」「社会・文化システムに関する理解」が必要となるわけです。
難関中学が「詩」問題を出題する狙い
上記の話は、「詩」の入試問題を指導する側の難しさに直結しています。
「『詩』の問題になると得点できないがどうにかならないだろうか」というご相談をよく承るんですが、これは即座に解決するのが難しい問題です。理由は上に述べたところから明らかでしょう。難関中で出題される「詩」の理解には、広い意味での「人間に関する理解」「社会・文化システムに関する理解」が必要だからです。
当たり前ですが、「人間や社会への理解」は一朝一夕では身に付きません。受験勉強や読書はその一助にはなるでしょうが、それだけでは十分でないでしょう。家庭での会話、学校での集団生活、年長者との触れ合い、社会的立場を異にする人達の観察など、あらゆる人・社会との接触の中で身に付けていくしかありません。もちろん私達大人も、(子供たちとレベルの差はあれ)その学習を続けているといっても過言ではないでしょう。
各難関中学が難しい「詩」問題を出題する狙いもそこにあるのだと私は思っています。
いくら著しく高い数理的能力を有していても、一定の「人間や社会に対する理解」を欠いている人は、当校には必要ない。将来的にその高いポテンシャルを社会に還元するため必要な、最低限度の「人間や社会に対する理解」を身に付けて来てほしい。ひたすら自己の利益のみを追求する我利我利亡者なんて育てたくない、時の政権にしっぽを振って一般国民のことを見ようともしない官僚になんてなって欲しくない。
そういう意味で、各校の国語科の先生方は、感受性のまだまだ豊かな中高生に(そしてその予備軍である小学生に)、「人間や社会」に対する基本的理解を求めていらっしゃるのではないでしょうか。考えすぎかな?
実際に「詩」問題を解いてみよう
さて、ここからは各論。最近、生徒さんから質問を受けた某大手塾の小学5年生向け灘中模試問題をベースにしてみます。
話は逸れますが、大手塾の模試問題を拝見する機会がよくあります(生徒さんが質問のために持ってきてくれる)。正直に言って、その中には妙な問題がままあります。とりわけ、「詩」についてはそういう問題が多い気がします。そういう場合は「この問題、おかしいから相手にしなくていいよ」「模範解答自体が変だから無視していいよ」と指導しています。そういう問題で点が取れてしまうのは逆に危ないと思うんですよね。「模試への過剰適応」とでもいいますか……。
話を元に戻します。今回お預かりした上記模試の詩問題は、とても良い問題だと思いました。孫引きになりますが、まずは出題されていた詩を引用します。
名乗るほどの者ではない
伊藤芳博ゲームセンターで恐喝があった
それを止めて
丸く収めた高校生がいたということだ
彼は店主に名前を聞かれると
「名乗るほどの者ではない」とだけ言って
そそくさと立ち去ったそうだ
しかし感激した店主によって
すぐに彼の身元は判明し
本校の2年生の生徒 小山君だと分かった
言うまでもないことだが
(言う必要があって言えば)
本県では高校生のゲームセンター出入りは禁止されている
「名乗るほどの者ではない」だなんて
実は名乗れなかったんだ
本校の生徒指導担当である僕は
この話が大いに好きだ
店主のお礼の言葉を背に受けながら
ドアの向こうに消えてゆく少年の名前を
僕も知らない
※ 読みがなが振られている言葉は次の通り。
恐喝(きょうかつ),彼(かれ),感激(かんげき),担当(たんとう),僕(ぼく),背(せ)
※ 語注が付されている言葉は次の通り。
恐喝:言葉や暴力で脅しお金などを奪い取ること。
生徒指導:問題行動を起こした生徒を取り締まること。
ふふふ、大人が読むとほほ笑ましくて楽しい詩ですね。皆さんもそう思われるのではないでしょうか。ただ、小学5年生になったばかりの少年に、この詩の趣旨が理解できるかどうか。なかなか難しいかもしれません。
私が問題にしたいなと思う部分は、模試出題者と一緒で、最後の二行分です。模試をコピーするのも芸がないので、問題を改題し、模範解答をこちらで用意するとともに、解説は当塾授業の実況中継風にお送りしたいと思います。Sは生徒の○○君・Tは私とお考え下さい。あ、本当は関西弁で話していますが、分かりにくいといけないので標準語にしておきますね。
[問題] 下線部「少年の名前を 僕も知らない」という部分には、「僕」のどのような思いが表れているかを説明せよ。
T 「どのような思いか」という問題だけど、いきなり書くのは難しそうだね。だいたいでいいからどんなことを書いたらいいか口頭で説明できるかな?
S う〜ん……。
T じゃあ、ヒントを出そうね。「僕」はこの「少年の名前を」知らないと言っているけど、本当かな?
S いや、本当は知っていると思います。
T それはどこから分かるかな?
S 「すぐに彼の身元は判明し 本校の2年生の生徒 小山君だと分かった」というところがあるし、「僕」は学校の先生だからです。
T そうだよね。「僕」は本当は少年の名前を「小山君」だと知っているよね。じゃあどうして、「僕はこの少年の名前を知らない」なんて言うのかな?
S う〜ん……。
T じゃあもうちょっと別の方向から考えてみようか。例えば○○君が友人の名前を知っているのに、「名前を知らない」って嘘をつきたくなるのはどんな時だと思う?この詩の問題から離れて考えていいよ。
S その友だちが嫌な子だった時かな?
T うん、それはあり得るね。普段から嫌な子だなと思っているA君に、今日はいやがらせで鉛筆を折られた。お母さんに「こんなことしたの誰?名前を言いなさい!」って言われても、言うの嫌だよね。思い出すのも嫌だし、名前を出すのもイライラするし。
S うんうん。
T でも、今日の問題では、そのパターンではなさそうだね。詩には「僕はこの話が大いに好きだ」とある。つまり、先生である僕はこの小山君のことを気に入っているようだからね。他にその人の「名前を知らない」って嘘をつきたくなる時ってありそうかな?
S 言ったらまずい時かな?
T うんうん、それもあり得るね。仲の良い友人A君が休み時間に教室の花瓶を割ってしまった。教室に戻ってきた××先生は激怒して「この花瓶を割ったの誰?今すぐ言いなさい!ひょっとして○○君?」と言う。○○君は無実の罪をかぶるのも嫌だから「違います」と言う。「じゃあ誰なの!」「分かりません」ってなるよね。A君のことをかばいたいし、××先生のこと嫌いだし。
S いや、べつに嫌いじゃないけど……。
T 嫌いということにしておいて(笑)。でも、今回の指摘はとてもいい指摘だね。「知っているとまずい」時は「名前を知らない」って嘘をつきたくなるよね。これをこの詩の問題に当てはめてみよう。
まず「僕」の仕事は何だったかな?
S 「生徒指導担当」って書いてありました。
T そうだね。生徒指導の先生です。生徒指導ってどんなことか知ってるかな?
S いや、あんまり……。
T そうだろうね、あんまり小学校では言わないかもね。だからこそ「注」のところで「生徒指導」の説明が書かれているよ。読んでみようか。
S えーっと、問題行動を起こした生徒を取り締まること。
T つまり、この先生(僕)の仕事は、生徒の問題行動の取り締まりなわけだね。詩の中のどこかに「生徒の問題行動」って書かれてたかな?
S う〜んと、「恐喝」?いや、違うなあ。生徒のしたことじゃなさそうだし。「丸く収めた」ことかな?
T それは違うよ、「丸く収める」というのは慣用句で「もめ事を円満に解決する」ということだから、悪い行動=問題行動じゃないね。むしろ、良い行動です。
S あ!分かった!「本県では高校生のゲームセンター出入りは禁止されている」だ!
T そうだね。「ゲームセンター出入り」は禁止されているんだから、この学校では、悪い行動=問題行動と言えるね。で、しつこいけど、この先生(僕)の仕事は、何だった?
S 問題行動の取り締まりです。
T じゃあこの先生(僕)は、本当ならどうしないとならない?
S 取り締まる、というか、叱ったり指導したりかな。
T そうだね。本当なら職員室に呼んで叱らないといけなくなるね。でも、この先生は「名前を僕も知らない」って言ってるよね。名前を知らなかったら職員室に呼んだり叱ったりできる?
S やっぱり無理かなあ?
T そうだね、名前を知らない以上、叱ることはできないね。もうちょっと正確に言うと、「叱らねばならないけど、叱りたくない」という気持ちがあるから、名前を知らないと言っているんだね。
ここで少し解答の骨組を考えてみよう(と板書する)。
1 本当なら、仕事の立場上、叱らねばならない
2 でも・しかし
3 叱りたくない
4 という思い。
T ここまでは納得できたかな?
S はい。でも何か物足りないような……。
T うん、良いところに気がついたね。どこが足りないと思う?
S なぜ叱らないのかなって……。
T そうだね。叱らないのがなぜか分からないからすごく落ち着きの悪い解答になっているんだね。
この問題から少し離れるけど、逆接(しかし・けれど)でつながっている文章は、理由を書いた方が落ち着きのいい文章になることが多いよ。
例えば、こんな感じ(と板書する)。
森に熊が現われた。しかし、私は森に入った。
これって、すごく落ち着きの悪い文章だよね。なんでわざわざ危険な森に入っていくの?って感じてしまう。
「森に熊が現われた。だから、私は森から遠ざかった。」ならいいんだよ。順接(だから・よって)の文章は、素直に筋が流れているから、読んでいる人は普通引っ掛かりを感じないんだよね。
でも、逆接は違う。普通とは違う方向に筋が流れてゆくから、読んでいる人に引っ掛かりを感じさせてしまうことが多くなるんだよ。そんな時は理由をつけてやるとスムーズな文章になるよ。例えばこう。
森に熊が現われた。しかし、私は森に入った。なぜなら、私は特別な訓練を受けた熊専門の狙撃手だからだ。
とか、
森に熊が現われた。しかし、特別な訓練を受けた熊専門の狙撃手である私は森に入った。
とかね。
それは今回の問題でも同じで、「でも・しかし」でつなぐ以上、何か理由をつけた方がいいね。小山君がゲームセンターに出入りしたことを、この先生が叱らない理由は何だと思う?
S あ、良いことをしたからだ!
T どんな良いことかな?
S 「ゲームセンターで恐喝があった それを止めて 丸く収めた」というところ。
T その通りだね。そんな正義の行動ができた生徒のことを、この先生は褒めてやりたいんだろうね。よくやったぞ!えらいえらい!小山君いい男だ!という感じだね。
ということで、さっきの骨組みにちょっと付け足してみようか。
1 本当なら、仕事の立場上、叱らねばならない
2 でも・しかし
+ 生徒は立派な正義の行動をして問題を解決した
+ だから
3 叱りたくない
4 という思い。
これだったらとても落ち着きのいい解答になりそうだね。じゃあ、実際に解答欄に合わせて書いてみようか。
小学生の指導は根気仕事
ここで授業から離れます。
私が問題を見て、さっと思いついた解答を書いてみると次の通り。
[解答例] 本来ならば、生徒指導を担当する教師という立場から、ゲームセンターに出入りした生徒を叱責せねばならないものの、恐喝を止めるという義侠心に富む行為に免じ、あえて不問に付そうという思い。
これはあくまでも語彙力のある大人向けの解答。5年生になったばかりの小学生に、「叱責」「義侠心」「〜に富む」「〜に免じる」「あえて」「不問に付す」といった表現を求めることはできませんし、その必要もありません。
必要なのは、小学生に期待しうる語彙で、筋道の通った解答を書くということです。
当たり前ですが、私の仕事は「自分が問題を理解すること」ではありません。それは瞬時にしないとならないタスク。
私の仕事は、問題に対する理解を小学生にわかる理屈や解説に落とし込み、小学生に期待しうる語彙でできた筋道の通った模範解答を示し、生徒さんの書いてくれた解答と比較検討し、各自に応じた補足説明・指導を行うことです。
自分が解けるということと、小学生を指導することの間には大きな大きな溝があり、その溝を埋める作業はかなり大変というか、根気のいる仕事だとお分かりいただければ、塾稼業冥利に尽きるというものでございます(笑)。
ということで、小学5年生に期待する模範解答も示しておきましょう。
[解答例] 生徒指導を担当しているため、本来ならばゲームセンターに出入りした生徒をしからねばならないが、恐喝を止めることは正義感にあふれた行為であるから、とがめないでおこうという気持ち。
「正義感にあふれた行為」は、「男気にあふれた行為」なんていう表現もいいかもしれませんが、ジェンダー的観点からはもう望ましくないかもしれません(男子校ならいいかもしれない)。また、「とがめないでおこう」は「見逃してやりたい」「大目に見たい」という表現でもいいでしょう。
以上、中学入試国語「詩」の問題で悩んでいる人のヒントになれば幸いです。
追記:AI(人工知能)に中学入試「詩」問題を解かせてみる
長くなりついでに、AI(人工知能)についても言及しておきましょう。
上記の記事を書いてから、ChatGPTにこの問題を解かせてみました。ヴァージョンはおそらくGPT-3.5(無課金勢なので)。解答部分のみ引用します。
ここで「名前を知らない」というのは、いくつかの解釈が可能です。
実際の名前を知らない:
語り手である先生は、個々の生徒全員の名前を覚えていない可能性があります。小山君が具体的に誰なのか、顔と名前が一致していないことを示しているかもしれません。
象徴的な意味:
「名前を知らない」という表現は、少年の行動が匿名の善行であることを強調していると考えられます。少年の名前や個人の特定よりも、彼の行動そのものが重要であり、名前は本質的ではないというメッセージを込めている可能性があります。
皮肉やユーモア:
詩の全体的なトーンにはユーモアや皮肉が含まれており、特に「名乗るほどの者ではない」というフレーズが、実は彼が名乗れなかった(ゲームセンターへの出入りが禁止されているから)という状況に対する軽い皮肉が込められています。このため、最後の「僕も知らない」は、名乗ることができないという点を強調し、ユーモラスに締めくくっていると解釈できます。
このように、詩の結末部分は、多層的な意味を持つことが多く、読者に解釈の幅を提供しています。この詩の場合も、その少年の名前が具体的に知られているかどうかよりも、彼の行動の意義とその行動に対する感謝や賞賛が中心となっています。
う〜ん、全部0点ですね(笑)。最後のちょっとエクスキューズ的な「彼の行動の意義とその行動に対する感謝や賞賛」という部分だけはなかなかですが。
少なくとも2024年5月現在、私がAIに聞きたいと思うようなことをChatGPTに投げてみても、返ってくるのは、ほとんどの場合関西弁で言うところの「スカタン」(間抜け)な解答なんですよね。これはギャグメーカーなのかと思うぐらいに。澄ました顔で目茶苦茶な答を返してくるので、モニタの前で何回もずっこけさせられました。
「なんでやねん!」って何度もモニタに突っ込むので、そこだけホコリが溜まってないぐらいです。嘘ですけど(笑)。
ということで、2024年現在、中学受験生は最新の人工知能以上のことが求められていると言っても過言ではないでしょうね。頑張れ、中学受験生。