「卒婚」と言うけれど

最近「卒婚」という言葉をよく聞きますよね。何か嫌だなあと。

私は言葉に乱れなどない、変遷に変遷を重ねる言葉の活力を大いに楽しむべし、という意見を持っているんですが(この件については詳しく記事にしてみたことがあります)、この「卒婚」なる言葉、どうも気にくわない。

何故かと考えてみると、「卒婚」って、真実や事実をごまかそうとする姿勢を持った言葉だからだと思うんです。「人々の耳目を糊塗しようとする言葉」って、やっぱり良くない。

こうした語を使う、もっと厳しく言えばこうした語に「逃げ込む」のって、言を弄して自分の立場を守るべく汲々としているのが透けて見えて、何か潔くないものを感じるんですよね。

結婚して仲睦まじく過ごし、「お前百までわしゃ九十九まで」なんていうのが最も美しいとは私も思います。でも、人間同士ですから、そりゃ結婚生活がうまくいかないこともあるでしょう。これからはお互いの道を行きましょう、ということになるのも十分にあり得ること。

そして、その場合のために、「離婚」なり「破局」なり、ちゃんとした言葉が昔から用意されています。文学的に言えば「破鏡」、法的に言えば「婚姻関係の解消」とかね。ちょっと硬すぎるけど(笑)。

それをなんで「卒婚」などと言うのか。おそらくは、今まで続いた婚姻関係を「修了する」「完成させる」という小奇麗なニュアンスを感じさせたいんでしょうが、そうは問屋が卸さない。語義探偵団はだまされないぞ!エイエイオー!(意味不明)。

夫婦仲良く過ごしているならば、なにもその関係を「修了する」「完成させる」必要はないわけで、本当は二人の間に埋めがたい溝が生じているはず。そしてそれは何も恥ずかしいことではありません。人間同士なんだから、合う合わないがあるし、人間は永遠に同じ考えや感情を持って生きられるわけではないんですから。だったら、「離婚」という言葉を正々堂々と使えばいいのに……。それを持って回った「卒婚」なんていう言葉でごまかすのは、逆に、心の底で夫婦関係の破局をとても醜く恥ずかしいことだと感じていることを証明しているんじゃないでしょうか。

大体、この言葉を大々的にアピールしていた夫婦(あの元横綱と元女子アナの夫婦です)を見ているとよく分かりますよね。

元横綱は「弟子は自分の子以上に大切な存在だ」と言いながらいきなり部屋を放棄。力士の親はテレビの報道で部屋の廃業を知るという有り様。元女子アナは女将さんとして部屋の切り盛りに大忙しなのかと思いきや、弟子の世話は放ったらかしで自分の講演会に飛び回る。しかも場所中に。

そうそう、彼らが結婚した際も断固として「できちゃった婚」であることを認めようとしなかったのを記憶しています。やっぱりそこにも「事実を伏せて見栄えの良い状況に持込もう」という意識があるように思うんですよね。あの時は、宮沢りえ、本当に可哀想でしたよね……。って、芸能ブログじゃないので、言葉の話に戻さねば(笑)。

ともあれ、何か表面だけを取り繕っている人たちには、使い勝手の良さそうな言葉ですよね、「卒婚」って。


そんな話を妻としていると……

妻「ウチはそろそろ卒ペしようかと。」

私「卒ペ?」

妻「うん、卒業ペット。もう中年の犬は飽きてきたから、ポイッと卒業して可愛い子犬に換えようかなって。」

私「クゥンクゥ〜ン、まだまだがんばれますワン!いっしょうけんめいはたらきますワン!漢文をおしえられるワンコなんてなかなかいませんよ〜!飼ってるとおとくですよぉ〜!キュイキュイ〜〜〜ン!……って、俺はペットじゃねぇぇぇぇ!」

「卒ペ」されないように頑張らねば!