巣から落ちたツバメの雛の話

しばらく忙しすぎて、なかなかブログにまで手が回りませんでした。書きたいことは山ほどあるんですけれど。

今まで何度かこのブログでも取り上げているんですが、当塾すぐそばのマンションにツバメが毎年のように巣を構え、雛を育てています。今年も元気な雛がチュクチュクと声を上げ、親ツバメは忙しそうに飛び回っては彼らに餌を運んでいます。

道行く人の多くが、写真を撮ってみたり、しばらく下にたたずんで巣を見上げてみたり。近所に住まう私たちはもちろん、多くの人々の心を潤しています。まあ、あんまりじろじろ見ていると、親ツバメに威嚇されるんですけどね(笑)。


さて、先週の金曜日、出先から帰って来たときの話。何気なくツバメの巣の辺りに目をやると、何やら灰色の小さな物体が地面でモゾモゾと動いています。

近寄ってみると、あらら、ツバメの雛です。例年、卵からは5羽程度が孵化しているように思うんですが、最終的に成鳥として巣立ってゆくのは、3羽程度。おそらく1〜2羽は、元気な雛に巣から蹴り落とされ、落命する仕儀とあいなるのでしょう。

今まで、落巣して動いている雛を見たことが無かったので、あまり深く考えることはなかったんですが、こうして実際に痛々しい様子の雛を目にすると、ちょっと、いや、かなりショックです。この事態、どう対処したものか。

もちろん、「適者生存、弱者には死あるのみ」というのが自然の掟であることは百も承知です。可哀相だけれど、落ちたお前が悪い。衰弱死をまつか、カラスに突かれるか、その末路は知らねども、我が知りたるところにあらず。

それが理屈なんでしょうが、衰弱した雛が実際に目の前でぎこちなく動いているのを見ると、そんな気持ちにはなれません。どうしたらいいんだろう……。鳥の専門家ではありませんが、このままだと死を迎えることが確実なのは明らかです。

とりあえず、手早く写真を撮って、副代表と母親に相談してみました。もちろん、彼女達に何か妙案があるはずもないわけで、心理的負担を一緒に抱えてもらいたいだけなんですけどね……。

そのまま放置しておくのも可哀相なので、一旦収容してやろうということになり、私が軍手をはめて、そっと雛を小さな段ボール箱に移しました。さて、ここからどうしたものか。

ツバメの雛が巣から落ちた際の対処法をネットで検索してみると、こうした事態はままあることのようで、人間が落ちた雛をそっと巣に戻してやれば、何事も無かったかのように親ツバメは再度雛を育てるということが記されていました。

しかし、今年の巣は例年よりもかなり小ぶり。というのも、今年は親ツバメが巣を作り始めた頃に、カラスの攻撃(嫌がらせ?)を受けたようで、2回ほど巣が破壊されたんです。その後急ピッチで建設工事を進めたため、例年よりダウンサイジングされているという次第。

その巣の中で4羽の元気そうな雛が所狭しと活動しているわけで、ここに落下雛を戻してやったところで、おそらくは再び蹴り落とされるのがオチでしょう。硬いコンクリートの上に再度落下すれば、今度こそ命はないかもしれません。

となると、ウチで保護して餌をやるしかないか……。母親に頼んで、家から竹串を持ってきてもらい、先を丸めた上でご飯粒を小さくしてやってみたり、小さな虫を与えてみたりしたところ、反応はするんですが、口にはしてくれません。やっぱり親が小さな虫を与えないとダメなんでしょうか。

実は、このツバメの巣、近所の某会社の方々が一生懸命愛護して下さっているんですが(カラスよけを準備して下さったり、糞受けを準備して下さったりしているのです)、その方々にも声を掛けてみようということになり、お声掛けしたところ、社長ご夫人や社員の方々がわらわらと駆けつけて下さいました。

客観視すれば、大の大人が6人も7人も集まって心を痛めるほどのことではないのかもしれませんが、やはり命あるものを見捨てるのは寝覚めも悪い話です。燕首ならぬ鳩首協議することしばし、私が調べた「補助的な巣を作ると親がそちらにも餌をやってちゃんと育てる事もある」という話に一縷の望みをかけることとなりました。

そうと決まれば話は早い。お持ち下さった小箱をはさみでちょっと加工、脚立に登って本来の巣の横に「補助巣」をガムテープで貼り付けました。あまり人の匂いを付けないほうがよいかもしれないので、再び軍手をはめて、そっと雛をその箱の中に入れてやります。

と、その時、雛がその脚で私の指にぎゅっとしがみついてきました。そっと引き離そうとしても、またしがみついてきます。「その生命力で頑張るんやで。親にちゃんと餌をもらうんやで。生き延びるんやで。」そう心の中で独りごちながら、雛を何とかそっと離し、脚立を降りました。

翌日土曜日は朝から晩まで仕事漬けの日であることに加え、あまり親ツバメに警戒心を持たせてもいけないだろうということで、補助巣の中まで覗くことはせず、下から眺めるにとどめていたんですが、どうも親燕がケアしているムードがありません。これはやっぱり無理筋だったのかも……。

そして日曜日。もし件の雛が元気にやっているなら、小箱をもっと補強せねばなりませんし、そうでないなら、小箱を撤去するべきでしょう(親燕が他の雛を育てる上で邪魔になる可能性があるので)。

お昼頃に意を決して、脚立にのぼって中を見てみました。

果たして、二日前私にしがみついていた雛は、目を閉じて小さな骸となっていました。

私も子供ではありませんから泣いたりはしませんが、残念な気持ちでいっぱいになりました。命のはかなさはいつだって人を切なくさせます。世を去るのが鳥であれ、人であれ。

人間の自己満足的な行為に付き合わせてしまって、ツバメ達には逆に悪い事をしたかもしれないな、ごめんな、などと思いながら遺骸を新聞紙にくるんでいると、息子と母親が、それはよくない、命あったものなのだからどこか土に埋めてやるべきだと言います。

それもそうかもしれません。じゃあ二人の好きにしておくれ、ということで息子と母に処置を一任しました。某所に手厚く埋めたということなので、雛も許してくれるでしょうか。

別に教訓めいた話をしようというわけではありません。ただ、命とは本当にはかないもの、だからこそ命は美しいものなんだと何時も思っています。そしてその思いは年を取れば取るほど強まってきています。

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