少し前に、中学入試国語の出題作品著者リストを記事にしましたが、今回は出題文章そのものを少し見ていただきましょう。
最初にお断りしておきますが、中学入試ですので、小学6年生を対象とした出題です。
下記は、少し前の東大寺学園中学の出題から引用しています。出典は外山滋比古「虚々実々」。
ちなみに、引用部分の前には、「映画という表現形式の捉え方として二種類の態度が存在すること」、引用部分の後ろには、「アナロジーが表現行為を成立させる本質的原理であること」が示されています(上記要約はブログ筆者)。
物理的世界には、形象と質量がある。映画では形象のほうはある程度再現するけれども、質量は欠けている。しかるに、人々は、映画を、だいたい、物理的世界の忠実な再現であると思って見ている。質量が映画には表現されていないことに気づかない。それは映画の映像が補償しているからであろう。映画が現実の形象を正確にとらえようとしていればいるほど、映像が質量を代行、あるいは補償する作用も強くなる。別のことばで言えば、映像が質量感を濃厚に帯びるようになるのである。
いかがでしょうか。
どう考えても、大人向きの文章ですよね。「アナロジー」という抽象的な外来語も、注釈付きですが、実際に本文で使われており、キーワードとなっています。
皆さんご承知のこととは存じますが、学校で使われる教科書をひっくり返してみても、こんな種類の文章は一切掲載されていません。日夜こうした文章に取り組んで頭をひねっている12歳の少年少女たちを、保護者さんはほめてあげて欲しいと思います。
そもそも、入試の場合、出題される「文章の難易度」と「問題の難易度」は別の話でして、文章が難解だから問題が難しいとは限らないんですが、小学生からすると、なかなかそうは割り切れません。ビビってしまうとでも言いましょうか。
実際、東大寺学園中の問題は、上記部分の意味が十分理解できなくとも、解けるようになっていたんですが、やはり、ある程度の意味は把握したいところ。少なくとも、難しい文章ではあるが大意は把握できる→安心して問題に取り組める→好成績、という流れは十分考えられるところですからね。
では、どうすればこういった類の抽象的文章を理解できるようになるのか?「当塾へおいで下さい」というのはあまりに図々しい宣伝なので避けておいて(笑)、手短に書いておきます。
やはり、抽象的な文章を読み込むことに尽きると思います。もちろん、小学生からすると、抽象的な文章を読み込むのは、かなり違和感のある辛い作業。自分一人で読ませることは、ほとんど無意味です。保護者さんが先に本文を読んで、だいたいで構いませんから、「これは要するに○○っていうことを言いたいわけだ」と示してあげることが大切だと思います。できれば具体例を使って、イメージを持たせてあげるとなお良いと思います。できれば文章の構成も考えて、背景も説明して……、ってあまり多くを求めては、保護者さんにウンザリされそうなので止めておきますが、できる範囲で十分です。
抽象的な論説文を勉強する際は、とりあえず「作者は何が言いたいのか」を保護者さんと受験生本人が共同で見つけるぐらいのつもりでも結構。継続してゆけば、馬鹿にはならない力が付くと思います。中学受験は保護者の受験でもある、とよく言われますが、こういう地道な保護者さんの努力も試されているのかもしれません。