古典の多面性・須賀敦子・平家物語

今日、授業の準備をしていて、こんな文章に出会いました。

「だが、古典はいつもみがかれたダイアモンドのような多面性で私たちをおどろかせる。」

須賀敦子『遠い朝の本たち』を題材とした、桜蔭中学の国語入試問題です。

須賀敦子は私の読書守備範囲に入っていなかった人なんですが、雑誌『考える人』の彼女に関する連載記事を読んでから、少し興味を持っていたところです。兵庫県芦屋市のお生まれ、小林聖心女子学院ご出身ということで、大阪で煮染められた私のような人間からすると、何だかハイソで畏れ多いような気のする方です(実際、Wikipediaで調べてみると、聖心女子大学の同期には緒方貞子さんが、後輩には皇后美智子さんがいらっしゃったらしい)。

しかし、こうした方が古典に親しんでいたのを見ると、とても心強い気がします。彼女の強靱な文章力は、ある種の古典を読むことで身に付けられたような気がします。少なくとも、「古典の多面性が現代の人間をおどろかせる」という趣旨の言葉は、きっちり自分の頭で考えて古典に取り組んでいる人の言葉でしょう。


最近、『平家物語』の朗読CD(朗読者は平幹二朗)を入手して聞いているんですが、目で読むだけでは得られなかった面白みが得られます。たたみ掛けるような発話も、悲憤慷慨調の地の文も、目だけで追いかけているときより、はるかに面白い。平家物語自体、「平曲」という語り芸として鍛えられてきた背景があるため、文体がとてもリズミカルなんですが、朗読されると、この美しいリズム、いかに伝達に役立っているかが分かります。「百見は一聞にしかず」とでも申しましょうか。

こうしたリズムに、私の鈍い感性も触発され、文章から今までと違う側面が立ち上ってくるのを感じることがあります。具体的にはなかなか表現しにくいですが……。『平家物語』は、まず間違い無く「みがかれたダイアモンドの多面性」を味わわせてくれる作品だと思います。