「愛国心教育」について思うこと

子どもたちの 「愛国心」を幼いうちからしっかり育てるべきだ。よく聞く意見ですよね。いわゆる「右寄り」とされる政治家や評論家がこの手の話をすることが多いようですが、かなり違和感を覚える意見です。

私は「愛国心教育を粉砕せよ!」というようなバリバリの左翼というわけではありません(笑)。「愛国心」を捨てよとでも言いたげなこの意見もまた、私に強い違和感を与えるんですよね。

何がその違和感を生ぜしめているのか。

思うに、「愛すること」「愛さないこと」を学校(またはその他の機関)で教育できると考えている点に、「愛すること」「愛さないこと」を子どもに教え込めると信じている点に、私は大いに疑問を持っているからなんでしょうね。

考えてみてください。あなたが誰かを・何かを好きになったとします。「あの人のことが大好きだよ」「この音楽が本当に好きだ」みたいに。

その時って、「私を愛しなさい」「この音楽を愛しなさい」なんて言われていないですよね。その人の人格か容貌か何かがあなたにとって魅力的であるから、その音楽があなたにとって心地よいものであるから、知らず知らずのうちに好きになっている。強制ではなく自発によって愛が生まれている。

少なくとも、私が今までに大好きになった人や物は、みんな奥ゆかしかったんですよね。「私を愛せ」「これを愛せ」なんて命令されたことは一度もありません。

というか、「愛せよ」なんて命じられたら、私は天の邪鬼なので、好きなものでも「絶対に好きにならねえぞ、大嫌いだ!」なんて仕儀になるに相違なし(笑)。

だから子どもたちに我が国を愛させたいのなら、大人が良い国・良い地域社会を作るしかないと思うんですよね。住んでいる人たちが優しい人たちだから。美しい風土が守られているから。素晴らしい文化が受け継がれているから。だからこの国が好きなんだよね、というふうに。

そんなわけで、学校で子ども達に「愛国心を教え込む」または「非愛国心を教え込む」なんて考えは、ちょっと手抜きなインスタント食品に似ていると思います。

自戒を込めて言いますが、大人自身が人生や仕事を楽しんでいるところを子どもに見せてやる、子ども達が出ていく社会という場所は、気持ちの持ちようでいくらでも美しいところになっていくんだよというメッセージを伝える、結局はそんなところしか、国や地域社会を愛することにはつながらないんだろうと思っています。

国や地域社会を愛するというのは、誰か人を愛することと何も変わらない。久々に祖父祖母や父のお墓掃除をしながらあれこれ思うゴールデンウィークです。