授業準備と読書

年末は予想していた以上に忙しく、時間の「自転車操業」をしております。一日中、授業準備と雑事と授業で、気がつくと深夜。読書時間が欲しいなんていうのは贅沢な話だと分かっているんですが……。

大体の場合は、一週間の初めあたりに、次の授業に間に合うよう授業準備をしておくんですが、最近は準備ペースが授業ペースに徐々に追いつかれておりまして、翌日の授業準備を前日に一生懸命こなすというパターンになっています。

授業準備は授業を充実させるキモですから、手を抜くことは絶対にできません。受験生指導の一授業時間は原則として1.5時間。私の場合、これに対応する授業準備時間は約1時間というところです。もちろん、過去に授業を行ったことのある問題を取り上げる際は、もっと少なくて済みますし、逆に、東大や京大の入学試験問題を取り上げるような場合は、文章が複雑な上に、解答案も練らねばなりませんから(予備校の発表しているものが必ずしもよい答案だとは限らない)、さらに時間がかかります。

古文や漢文はそうでもありませんが、現代文の場合は、背景となる関連諸分野の説明も必要となりますから、その辺りも勉強しておかねばなりません(おそらくここが他科目の指導との大きな違いだと思う)。

例えば、先日の授業は、近代以降の学校制度・教育の難しさを中世徒弟制度との比較で論じた文章が素材だったんですが(東大2006年第4問)、こういう文章の場合、直接の関連はなくとも、「宗教改革以降の西欧における職業観」というものを理解しておいた方が、個人的にはいいと思うんですよね。少なくとも、後々の類似の文章読解に役立つはず。

となると、Beruf(ベルーフ)というドイツ語の意味や、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(有名な社会学の論文です)も軽く説明しておいた方がいいよね……となってくるわけです。

学者のように論文を書くわけではありませんし、一応(あくまで一応(笑))大学でもちゃんと勉強はしていたつもりなので、それぐらいの基礎知識なら特に準備は必要ありませんが、やっぱり読書を中心として勉強を続けておかねばなりません。そういうわけで、最初の話に戻りますが、読書時間が欲しいなぁと。私にとって読書は広義の「仕事」でもあります。ちょっと言い訳じみてる?