河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』

少し前に心理学者・河合隼雄先生と村上春樹氏の話を書きましたが、書いた後、河合先生と小川洋子氏の対談集もあったことを思い出しました。これは良い機会とアマゾンにて購入。

生きるとは、自分の物語をつくること(新潮文庫)
小川洋子 河合隼雄

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

お二人の対談集『生きるとは、自分の物語をつくること』が到着したのはその二日後。仕事前だったので、少しパラパラとめくってみるだけ……のつもりが、あっという間に読了してしまいました。ページ数が少ない上に読みやすい文章なので、すぐに読めるのです。

しかし、そのボリュームとは裏腹に、語られている内容は非常に奥深いものです。この書に限らず、河合先生のお書きになった本には、そういうものが多くあります。とても平易な文章でありながら、哲学的な内容に踏み込んでいるような。これは相当の力が無いとできない業ですが、河合先生が大学卒業後、しばらく高校で数学教師をなさっていたこととも無縁ではないような気がします。数学という抽象の極みを、まだ年端も行かぬ若者に教えることは、ある意味修行のような側面もあると思うんですよね……。

河合先生のような大学者が、文化庁長官(という世俗的な地位)にご就任なさってしまわれたことは、ご本人にとっては不幸なことであったかもしれないと、私などは思っていたんですが、この対談(河合先生が文化庁長官をなさっていたときの対談です)を読む限り、なかなか楽しくやっていらっしゃったようにお見受けします。


さて、私が面白いと思った部分をご紹介しましょう。

(ブログ筆者注)(カウンセリングはスポーツに非常に似ており、相当な勝負根性みたいなものを持っていないと成立しないという話を受けて)

帰りぎわに「これが最後のご挨拶です」なんて言う人がいる。「あ、どうぞ」と言った方がええ時もあれば、「まあ座って、ちょっと聴きましょう」って言わんならん時もある。「どうぞさよなら」と言って亡くなられたら、絶対的な失敗ですからね。答え方はいっぱいある。そういう時下手な人ほど「死ぬのはやめて下さい」と答えが一つしかない。ラグビーの平尾誠二さんが言ってましたけど、一流の選手ほど選択肢をたくさん持っていてその中からパッと最善の方法を選ぶ。だけど、下手な選手は球をもろたらただもう走らないかんと思い込んどるんやそうです。走らんとパスした方がいいときもあるのにね。
われわれの仕事とスポーツはそういうところが一緒ですね。

(『生きるとは、自分の物語をつくること』52ページから引用)

私は心理カウンセラーではありませんし、臨床心理の専門的な教えを受けたこともありません。ただ、この例えは「人を教える」という行為にも大きく通じるところがあると思います。

もちろん自分がまだまだ未熟者だという自覚はありますが、一方で、授業や面談の際、「今の自分だからこそこう対処できるんだな、昔だったらこういう時、こんな風には対処できてなかっただろうな」と思う時があります。昔より自分の持つ「選択肢」が増えてきているということなんでしょう。

お二人の話はこう続きます。

小川 「もうちょっと考えなさい」という一言も、たくさんの中から選ばれた言葉か、唯一それしか持っていない人の言葉かで、受け止められ方が違ってくるということですね。

河合 それしかないっていうのは駄目なんです。そして、それはもう、すごく微妙なことなんです。

(『生きるとは、自分の物語をつくること』52ページから引用)

教える・教えられる内容が一緒であっても、誰が教えるかによって効果は全然変わってくる。そしてそれは非常に微妙なことだから、よほど感度の高い人や、よほど切羽詰まった人にしか感受し得ない。今の私にはよく分かります。

もう一つだけ。

(ブログ筆者注)(小川氏の、小説を書き終えた時に自力で書いたという意識があまり残らないという話を受けて)

そこは似ていますね。僕も、僕が治したという感じはほとんどないんですね。それでもこんだけのことを出来る人間は、あんまりいないとは思っています(笑)。そういう自信はあるけれど、でも僕が治したのではないという感じは嘘つけない。

(『生きるとは、自分の物語をつくること』56ページから引用)

とてもおこがましいんですが、自分が書いたのかと思いました(笑)。「治した」というところを「合格させた」とか「学力を上げた」と置き換えれば、まったく私の気持ちそのものです。

首尾良く合格した生徒と保護者さんがご挨拶においでになることがあります。有り難いことに「先生のおかげです」なんておっしゃって下さる。ただ、首尾良く合格される生徒の場合、不思議と当方としては「何かをした」「頑張って指導した」という気持ちを持っていないことが多いんです。

かつては正直に「私は何もしていません、彼・彼女が勝手に合格されただけです」と気持ちをお伝えしていたんですが、そのたびに生徒・保護者さんに妙な顔をされるので(笑)、最近は「お言葉ありがとうございます」と御礼を述べるに止めています。

もちろん、何もしていないというのは過言かもしれません。授業準備は入念にしますし、授業中もあれこれと指導します。板書もすれば、答案のチェックもします。(当方の指示を素直に聞き入れてくれるならば)生徒の学力を上げる自信もあります。

しかし、何と言うのでしょうか、学力を上げる人は「勝手に」学力を上げてくれているイメージがあります。そして私はその場を提供しているだけ。生徒の学力向上度と、私の受ける「何もしていない感」は、不思議なことにかなりの部分で比例しています。

ま、塾のホームページなどには「何もしていません」なんて書いたら塾生が集まりませんから、そんなことは書いていませんけれど(笑)。あ、ちゃんと指導はしていますので、勘違いなさらないで下さいね。

ともあれ、とても楽しい対談集です。惜しむらくは、河合先生が途中で鬼籍に入られてしまったため、対談が完結していないんですが、あとは「自分の物語」として生きろとおっしゃっていると解釈したいと思います。