当ブログ、「中学受験で成功する生徒」という検索フレーズでよくご覧頂いているようなので、補足的に思うところを書いてみます。
2年ほど前に書いたのは下記の記事。今もこの考えは全く変わっていません。
正直に申し上げると、保護者様と面談させていただき、生徒本人に数回授業をすれば、受験で成功するか失敗するかはだいたい分かります。別にスゴ腕を気取るわけではありません。上記のような判定は、中学受験生を対象としている講師なら、おそらく誰でも出来ることだと思います(もちろん一定以上の場数を踏んでいる必要はありますが)。
ただ、判定の要件すべてを明かすことは避けておこうと思います。ブログだと、誤解されるおそれもありますしね。他の受験関連ブログを見ても、このあたりは大体ぼやかされているんですが、おそらく同じお考えなのでしょう。
ということで、前回とほぼ同じような内容の記事になってしまうんですが、少しだけ切り口を変えておきます。
中学受験に限らず、成功する生徒・ご家庭には面白いほど共通点があります。それは「へこたれない」こと。
生徒本人が、ご家庭が、とにかくへこたれない。生徒およびご家庭に、「必要なことは無理にでもこなす」という気概があります。「やれる・やれないの問題ではない、必要である以上やるだけだ、どんなに無理があってもやりきるだけだ」という気迫です。「風邪引き?寝不足?そんなの関係ないよ、やるときゃやるんだよ」とばかりに、しぶとく合格に賭けることが出来る人は、やはり強い。
高熱を出しながらもアイスノンを頭に貼り付けて必死で授業に出てきた生徒は最難関中学に合格しましたし、かなりの遠方にお住まいにもかかわらず(学校行事を除けば)一回も欠席しなかった生徒もあっさりと最難関中学に合格しました。
相手が子どもながら(いや子どもだからこそ)、秘かに尊敬します。自分が子どもの頃中学を受験していたなら、ここまで自分を追い込んでいたか(そして親が追い込んでくれていたか)自信がありません(笑)。
私自身は生徒にスパルタ的な強要をするのが大嫌いです。塾は合理的な指導を提供する場であるべきだと思うからです。が、各人が「自ら」スパルタ的な義務を課し、それを必死に黙々とこなしているのを見るのは悪くない。そういう風に頑張る人をできるだけお手伝いしたいというのは、人間の自然の情でしょう。
本当に不思議な事ですが、そうした姿勢の生徒・ご家庭には、まず間違い無く、最後の最後に幸運が舞い込みます。「幸運の女神の前髪を掴む」というのは、こうしたことを表現しているのでしょう。こういう生徒やご家庭って、言葉は悪いですが(私は褒め言葉のつもりですが)、塾や指導機関にしがみつくようにして勉強をされているようにすら見えます。
「もう学力としては十分合格圏内でしょう。あとは入試当日まで、身体を休めながらゆったりと復習をされたらどうでしょう」と私が提案しても、「試験前日までできる限りの努力をしたい・させたい」とおっしゃるご家庭は、まずだいたい第一志望の学校に合格するんですよね。
逆に、体力的なまたは時間的な都合により、入学試験の数ヶ月前での授業終了をご希望になるケースもあるんですが、この場合、なぜか第一志望校に届かないことが多々あります。こうしたご家庭も受験というレースから降りているわけではありません。むしろ、私から客観的に見て、指導終了の時点で、合格するだけの実力を十分に付けてもらっていると評価できるようなケースです。
それにもかかわらず、最後の最後の過ごし方や勉強で差が付くのは何故なんでしょうか。正直、最後の数回の授業が、大きな学力の差を生んでいるとは思えません。
私が思うに、勉強時間・能力・知識について、合格者と不合格者の間には、それほど大きな違いはありません(単なる記念受験というような余程の例外は除く)。おそらく合否は「紙一重」で決まっているはずです。イメージ的に言えば、不合格者=1, 合格者=2 という感じではありません。不合格者=1, 合格者=1.01という感じです。
そうであってみれば、その「紙一重」こそが大切なのであって、その「紙一重」を決するのが、生徒の、そして家族一丸の、しつこいまでに「へこたれない気持ち」だと思うのです。
指導を続ければ続けるほど、上記のような思いが強まるばかりなんですが、より根本的に考えてみると、入試制度というのは、「へこたれる」生徒を排除するためのシステムなんですよね。良いか悪いかは別として。
あなたが名門中学校の校長だと考えてみて下さい。へこたれて学校を辞めてしまったり、勉強を放棄するような生徒は敬して遠ざけておきたいですよね。今時、学校のレベルを下げてしまうと大競争時代に勝ち残れません。
または、あなたが会社の社長だとして下さい、中小企業でも構いません(むしろ規模の小さい会社の方がいいですね)。へこたれてしまうような社員は要らないですよね。折角人材として育てても、中途半端に退社されれば、会社には何の利益ももたらしてくれません。そんな人は会社には不要です。
そう考えてみれば、入口の時点で、「へこたれる」人材を上手く排除し、「へこたれない」人材を確保するシステムが出来てくるのは自明の理です。それが入試や入社試験というものなのでしょう。しつこいようですが、善悪の問題を論じているわけではありません。事実的な問題です。
当塾は、しつこくしぶとくへこたれずに、努力する生徒・努力させるご家庭のお力になりたいと願っています。