授業と授業準備と

ひたすら授業と授業準備に追われる毎日を過ごしています。

入試直前は、受験生にとって最も大切な時期。私としても全力を尽くす必要があります(いつもそのつもりでやっていますが)。各生徒の志望校に徹底的に合わせて授業を組んでいくため、各授業はまったく異なる内容になります。あるクラスは◯◯中学の入試問題の徹底演習、あるクラスは●●中学の入試問題の徹底演習、またあるクラスはセンター試験の徹底演習、といった感じです。

一度授業で取り扱ったことのある内容なら、比較的準備は楽ですが、例年、事はそう簡単に運びません。各人の第一志望・第二志望・第三志望まで考えると、とにかく多数の問題について新規に授業準備をしておかねばなりません。

この1ヶ月で、100ユニット強の入試問題について準備をしていますが、正直もう死にそうです(笑)。ちなみに私が1ユニットと称しているのは、センター試験1年分(現国2問、古文1問、漢文1問)とか、中学入試1年分のこと。どうしても睡眠時間が……。

入試問題をチェックしたり解いておいたりすること自体はそれほど苦痛ではありませんが、「解く」ことと「教える」ことには雲泥の差があります。自分で言うのも何ですが、中学入試レベルなんかだと、解くのは本当に簡単です。こんな問題、答えこれしかないじゃん、という感じ。しかし、それを他人に、しかも小学生に、しかも国語が得意でない生徒に伝えるとなると、話は全く別論です。これこそ私が日々格闘している仕事の一つ。

そうして準備した内容を、できるだけ生徒に伝えて得点力を上げてもらうわけですが、生徒の作る答案は様々です。どうしてそのような記述解答になり、どうしてそのような選択肢を解答としたのか。必ず一人一人の答案を見せてもらうか聞かせてもらうかし、どの様な思考回路を通じて解答に至ったのかを徹底的に調べます。

正しい論理で正答に至ったならそれでよし。しかし、記述にズレが合ったり、誤った選択肢を選んでいるならば、そこを修正してゆきます。どの段階で誤りが生じたのか、言い換えれば、文章を読み誤ったのか、解答作成時に間違いがあったのか、それとも他の要因で誤答に至ったのか。生徒の答案を見ながら、生徒の声を聞かないと、なかなか最後までは追いつめきれません。そんなわけで、国語の個別指導をする際は、学年を問わず「絶対に」答案を見させてもらうか聞かせてもらうかしています。

経験上も、理屈の上からも、添削を加えるだけでは、まず学力が伸びないんですよね。上述のように、自分の誤った考え方や表現を「双方向的に」正さねばならないのに、添削では「一方通行的に」なってしまうからです。添削って、かなりの時間を食うんですが、その割には理解をさせることが難しい指導方法の一つだと思います。

そんなわけで、授業は添削を包含したスタイルで進めています。つまり、授業内で生徒の答案を見るか聞くかし、その場で一問一問につき、合格答案にするべき思考方法や手段などを伝え、(総入替が必要な記述答案は別として)生徒の書いてくれた答案を土台に合格答案を提示するというスタイルです。生徒の答案をもとに即座に合格答案にしてゆくので、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)みたいな感じ、というと格好良すぎですけれど。ま、気持ちだけはコルトレーンやマイルスです(笑)。

でも、そこまでやって初めて直前期の伸びが期待できるのだと思っています。少し前の生徒さんで、直前合格可能性判定「E」から合格した人がいましたが、入試直前期は、模試を捨て(かえって毒になるのでやらない方がいいと指示)、もうひたすらに実際に出題された過去問で上記のような練習を積んでもらっていました。私も本当に嬉しかった合格の一つです。

というわけで、授業には本当に集中力が要ります。この仕事、何歳までできるんだろうと思うぐらいに。この時期、8時間近く授業をして、5時間ぐらい授業準備をして、3時間ぐらい塾の雑務(各種の連絡等をしているとそれぐらいかかることが多い)をこなすことが多いんですが、もう仕事が終わると寝るだけです。授業を入れていない休日も、朝から晩まで授業準備。

自分自身よく喋る方だ認識していますが、さすがにこの時期は、仕事が終わると、もう誰とも喋りたくない、一言たりとも発したくないという気分。関西ローカルですが、551蓬莱の宣伝でありますよね、「あるとき……、ないとき……」って。本当にあんな感じです。「授業やってるとき……、授業やってないとき……」みたいな(笑)。

当塾を信頼してくださっている受験生や保護者様に合格の歓びを味わっていただきたい、その気持ちだけでなんとか頑張っています。受験生にも私にも早く春の来たらんことを!