ビルスマのバッハ無伴奏チェロ組曲

Anner Bylsma (アンナー・ビルスマ) という、ピリオド楽器演奏(作曲された当時の古楽器での演奏)で有名なチェロ奏者がいます。

ずいぶん前の話になりますが、雑誌「考える人」2007年夏号に、彼のロングインタビューが掲載されていました。とりわけ、バッハ無伴奏チェロ組曲への思いに重点が置かれたインタビューとなっており、読み応え十分。ちょうどこの頃、ビルスマ氏のバッハ無伴奏チェロ組曲を聴きまくっていたこともあり、舐めるように読んだ覚えがあります。

考える人 2007年 08月号 [雑誌]

今読み返してみると、こんなことが書かれています。

弓で弾いた、ひとつのチェロの音を私たちが聴くとき、そこには和音も不協和音も聞こえてこない。ところが、「無伴奏チェロ組曲」を聴いていると、その一音のなかに不協和音が発生するんです。いや、実際に物理的に鳴っているのではありません。しかし不協和音が聞こえる。じゃあどこから不協和音が聞こえてくるのか。それは「無伴奏チェロ組曲」を聴いている人の心から聞こえてくるのです。
(「考える人2007年夏号」P61 ビルスマ発言より)

分かる!分からないんだけど分かる!(笑)

私は楽理に暗いまったくの素人ですが、彼の言わんとすることは(もしくはバッハの言わんとすることは)分かる気がします。楽理的には分からないんですが、文学的には分かるとでも言いましょうか。作曲者や演奏者の意図が、表層的な部分ではなく深い部分で、聴き手の直感によって瞬間的に理解される面白み、とでも説明すればよいのか。

ここで塾ブログらしく、文章についての話につなげましょう。

何気なく書かれた文章。特に「悲しい」とも「寂しい」とも書かれているわけではない。むしろ明るい情景が描かれており、使われている語彙や表現も極めて単純で平易。しかし、その底に何とも言えない悲しみや複雑な感情が湛えられている……。

ビルスマ氏の話を聞くとき、私はそんな文章のことを思うのです。

もちろん、受験レベルではそんなことに気づく必要はありませんし、仮に気づいても答案には書かない方が無難。読解力云々というより、直感力と言った方が正しい部分ですから。しかし、根拠がない主観的な読みだと言われると、やはり違う気がします。

話が随分それてしまいましたが、興味のある方は、ビルスマ氏のバッハ無伴奏チェロ組曲をどうぞ。最も有名な第1番ト長調 BWV1007 前奏曲です。

Anner Bylsma plays Bach Cello Suite No.1 in G major- Prelude

<追記>
雑誌「考える人」の関連記事を見つけました。
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high75.html