奈良興福寺五重塔国宝特別公開に行ってきた話

大阪住まいの特権は、大阪・神戸・京都・奈良というそれぞれの魅力を持った都市の良さを簡単に味わえることだと思います。貶すわけではありませんが、東京という都市はあまりに巨大かつ強大すぎて、近隣他都市の個性や魅力を失わせてしまう傾向があるように思います。比喩的に言えば、東京が他都市を飲み込んでしまっているとでも申しますか。

私たち大阪人は、京都や奈良や神戸が大阪の下に位置しているとはゆめ思いません。いずれもが対等の(またはそれ以上の)強力な個性に満ちあふれた魅力的な街です。大阪市内から30〜50km程度しか離れていないのに、それぞれが違う文化圏にあるといっても過言ではない。私たち夫婦は、どの街にも気軽に出かけられてそれぞれの魅力を味わえるという特権をフル活用しております。もし仮に私たちが東京都心に住んでいたとしたら、休みの日に埼玉県や千葉県に出かけていたかどうか……。

当塾(大阪市内)から奈良市内までは30km強。高速道路を利用すれば到着まで40分かかりません。そんなこともあって、私たち夫婦にとって奈良は上記三都のなかでもかなり親しみ深い都市なんですよね。

よくあるのは、東大阪市の妻の実家に出かける→阪奈道路で奈良市内に出る→奈良公園をプラプラ散歩する→帰りにどこかのカフェに入るというパターンなんですが、奈良公園って大阪はもちろん神戸にも京都にもない独特の魅力があります。それはがらんとしているところ。いや、言い方が悪いですね(笑)。周辺の建物といえば、景観に配慮した公共施設(博物館や県庁など)や寺社だけで、空や道がとにかく広いんです。スコーンとした広がりを感じる。

猿沢池。この風景を楽しめるスターバックスが池畔にあってお気に入り。

といって、田舎田舎しているのではありません。かつての都文化の名残がどこかに滲んでいる。その一方で、京都のような「ウチは歴史ある文化都市でっせ、なめてもろたらあかしまへんで(なめてはいけませんよ)」みたいな気負いがなく、どこか質実でのほほんとしている。

大阪市内のようなせせこましい街に暮らしている人間からすると、その広々とした空や緑が慕わしい。といって人を拒むような急峻な山や深い森に分け入るというわけでもない。三笠山のようになだらかでおだやかでやさしい風景なんです。

そりゃ遣唐使として海を渡った(そして帰国がかなわなかった)阿倍仲麻呂が「三笠の山に 出でし月かも」って懐かしがるのも無理はありません。また志賀直哉や小林秀雄といった感受性の極めて高い文学者達が住んでいたのも故無きことではないでしょう。

個人的な都市論はさておき、奈良公園を歩いていると否応なく感じられる存在感があります。それは「興福寺」の存在感。とりわけ「興福寺五重塔」のプレゼンス。

というか、奈良公園そのものが興福寺の寺領といってよいところなので(興福寺の寺領に壁などありません)、当たり前なんですけどね。幼い頃から遠足で来たり家族で来たりデートで来たりしてきた奈良公園ですが、いつだって「興福寺五重塔」を見ては目を楽しませて貰ってきました。

青と緑の背景に映えるこのお姿。「映え」中の「映え」だと思います。

先の小林秀雄が、奈良時代から続く東大寺二月堂のお水取りという儀式をみて「バッハだ!」と評したという話がありますが、似たようなことを「興福寺五重塔」を見る度に私も思うんですよね。「バロックだな」と。五重塔の真下に佇めば、躍動感のある重厚感が(って意味不明ですが)降り注いできそうです。

真下から眺めてもやっぱり良し。

今まで色々な五重塔を見ていますが、個人的な美的観点からして、この「興福寺五重塔」に勝るものはありません。力強く均整のとれた建築はいくら見ていても飽きない。「『興福寺五重塔』しか勝たん」って、もう古い表現ですかね。まあ、「推しの五重塔」とでも言っておきましょうか。

「興福寺五重塔」は奈良県内で最も高い建造物なので(高さ約50m)、先述の通り空の広い奈良公園界隈にいると、いつもその存在を感じるんですよね。これがまたいい。奈良の人々も意識するしないは別として、おそらく心の底ではそう感じているんではなかろうか。仮にテロリストが「興福寺五重塔」を毀損したとしたら、県民の多くが剣もて立ち上がるはず(知らんけど)。

奈良県庁屋上から。実は県庁食堂にもよく興福寺五重塔が見える席があります。普通では考えられないような特等席だと思う。

そんなことを考えている私からすると、「興福寺五重塔」の姿をしばらく拝めなくなるというのは少々衝撃的な事実。実は、今年2022年(令和4年)から令和の大修理が始まる予定で、しばらくは素屋根で覆われてしまうんです。

大修理とあって修理完了は2030年3月末との由。前回の大規模修理が行われたのは明治33年、120年以上前なので、まあ仕方がないといえば仕方がないんですけれど。何か日本国全体に凶事が起こらねばいいんですが……って、考えすぎですね(笑)。

というわけで、令和大修理が始まる直前の「奈良興福寺五重塔国宝特別公開」があると聞いて、私が足を運ばないはずがございません。

興福寺国宝特別公開「五重塔」 – 法相宗大本山 興福寺
https://www.kohfukuji.com/news/1835/

興福寺五重塔の内部は普段公開されていませんので、めったに中を拝観することはできません。私も生まれて初めて中に入らせていただきました。できれば一度一番上の第五層まで上ってみたいんですが、初層だけでも大変嬉しいお話。

思った通り内部も重厚な作りになっていました。東西南北各面には如来像が安置されています。塔自体は15世紀に再建された建物ですが、やはりそこには「天平の祈りの空間」が残っている。

東面に薬師如来像、南面に釈迦如来像、西面に阿弥陀如来像、北面に弥勒如来像と如来オールスターズがいらっしゃって、それぞれ脇侍の仏像(日光月光菩薩像や普賢文殊菩薩など)を従えています。合計12躯の国宝が惜しげもなく安置されているわけですね。

私が特に感動したのは、心礎上に立つ柱。さすがに約35m(総高約50m-相輪約15m=約35mという計算)の一本柱はないので、3本の大木が接がれた大柱が五重塔の真ん中を貫いているらしい。

今回の特別公開では須弥壇(ご本尊を安置する台)下の囲い(確か北面だったと思う)が外され、心礎上に立つ柱が見られるようになっています。腰をかがめて見てみると、やはり堂々たる柱です。これがこの興福寺五重塔を支える大柱なのか、奈良のランドマークを支えているわけだから、奈良県全体を支えている柱とも言えるな、旧都を支える大柱は日本国を支えている柱だとも言えるから、こここそが日本国の中心地とも言えるな、などと「暴論」を心の中で繰り広げながら拝見。

堂内にいらっしゃった興福寺の案内係の方にお尋ねしてみます。

「この心柱の地上部分を初めて拝見して感動いたしましたが、この柱、地下の方はどれぐらいの深さまで埋まっているんですか?」

「実は埋まっていないんですよ。」

「え?」

「地上に柱が置かれているだけなんです。」

何という事実。これだけの重量物の中心を貫く柱が、地下には全く埋め込まれておらず、地面の上にストンと置かれているだけだとは!柔軟な構造故に耐震性が高いということは聞いていましたが、それでも心棒なんだから、ある程度は地下構造もあると思っていました。

東京スカイタワーにも同じような構造が採用されている話や、塔によっては心柱を上からぶら下げているところもあるという話を伺えて、大いに勉強になりました。

力学的構造を考えれば、埋没部分を作らず柱を地上に置くだけという形が最も合理的なのかもしれませんが、物理学や建築学の発達していなかった時代の人に、どうしてそんなことが分かったんですかね。

副代表は、この時代に宇宙人が来て建築技術を伝えたという説を唱えるんですが、いくらなんでもそれは……(笑)。

青と白と緑の背景。こうした背景が用意できるのは奈良だからこそ。日本的な美の一つの極致だと思っています。

近くで見てもやはり美に破綻がないんですよね。

ともあれ、いいものを見られた喜びに満たされながらカフェに向かいました。しばらくは興福寺五重塔のお姿ともお別れ。ちょっと寂しい気持ちは鹿に慰めてもらおうと思います。

猿田彦珈琲。ランプシェードのちょっとした気遣いがいい。

夏から初秋は生まれたばかりのまだ小鹿小鹿した鹿が多数います。まだ世慣れてない感じがキュート。

駐車場のそばにて。芝生をムシャムシャ。お〜い怒られるぞ。