過日大型書店に出かけた際、たまたま下記の本を見つけて、しばし立ち読みしてしまいました(すいません)。字の下手な私は、こういう文字(勘亭流)の書ける人を多いに尊敬します。
人形浄瑠璃文楽 外題づくし
北浦 皓弌 (著), 鳥越 文蔵 (監修), 人形浄瑠璃文楽座 (編集)
テレビニュースか何かで、年末の南座顔見世興行の「まねき」を書いていらっしゃるのを何度か見たことがありますが、下書きも何もなしにグイッグイッと一気に大きな看板文字を書かれるんですよね。筆に迷いがありません。
さて、文楽や歌舞伎の外題(演目のタイトル)って、文字数が原則として奇数になっているのをご存知でしょうか。具体例を挙げてみましょう。
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』
『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』
義太夫・丸本歌舞伎の三大名作です。それぞれ漢字が5文字・7文字・7文字。奇数ですね。
私はどちらかというと文楽派なので、見たことのある文楽の外題を、文字数で分類していくつか挙げてみます。
<3文字>
『廓文章(くるわぶんしょう)』
<5文字>
『絵本太功記(えほんたいこうき)』
『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』
『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』
『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』
『平家女護島(へいけにょごのしま)』
『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』
『新版歌祭文(しんばんうたざいもん)』
『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』
『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』
『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』
『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』
『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』
『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』
『攝州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』
『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』
『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』
『生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)』
『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』
<7文字>
『ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)』
『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』
『近頃川原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』
『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』
『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)』
『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』
『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』
『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』
『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』
『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』
漢字だけの並びはもちろん、ひらがなが混入しても絶対に奇数にまとめるというこの念の入れよう。4文字や6文字といった偶数の外題って本当に思い浮かびません。
実は日本には「偶数よりも奇数の方が縁起が良い」という考えがありまして(陰陽道から来ているらしい)、浄瑠璃作者や興行主が客入りを気にして、文字数奇数の外題を採用していたらしいんですよね。
当塾の屋号は、目的に応じていくつかを使い分けているんですが、実はいずれの文字数も奇数になっています。
宮田塾 (3文字)
宮田国語塾 (5文字)
完全少人数制宮田塾 (9文字)
陰陽道や文楽歌舞伎の外題に影響されたわけではなく、たまたまなんですけどね。ただ、皆様にご愛顧いただいているのは、そんなところに原因があるのかも……。いや、ないか(笑)。
英語では奇数を “odd number” と言います。つまり、2で割り切れない数を「普通ではない奇妙な数」と捉えているわけですね。我が国でも2で割り切れない数を「『奇』数」と称するわけですから、同じような発想があるわけです。
でも、よく考えてみると、「2で割り切れる数の方が奇妙である」という考えも十分に成り立ちますよね。上記の文楽・歌舞伎の外題の文字数もそうですし、結婚式なんかのお祝いに「奇数×10000円」を持っていくという風習もそうでしょう(少なくとも関西にはそういう風習があります。割り切れる数は「別れ」を連想させるから「偶数×10000円」は良くないということらしいんですが、それだったら「素数円」を持っていくのが一番良いということになるはずですよね(笑))。
偶数が原則的・正当で、奇数は例外的・奇妙と考えるのは、人間の体が左右対称になっていて、腕や足や眼が二つであることに起因しているという説があります。人間が腕3本、足5本、眼が7つなんて身体だったら、2で割りきれる数をこそ “odd number” 「奇数」と呼んでいたのかもしれません。
こんなことを書いているのは、以前ご紹介した本川達雄『ウニはすごいバッタもすごい-デザインの生物学』の中に、棘皮動物(ヒトデやウニの類)の腕がなぜ五放射なのかを考察した部分があったからなんです。中心軸のまわりに360÷5=72°毎に腕が付いているという形がなぜ合理的なのかという話なんですが、とても説得的だったんですよね。一言で言うと、五放射が摂食に一番有利だったということなんですけれども。
ウニはすごい バッタもすごい – デザインの生物学 (中公新書)
本川 達雄
筆者は、棘皮動物が奇数のパーツを基本的要素として採用している理由を考察した上で、人間が2で割りきれぬ数を「奇数」 “odd number” と呼ぶことについて、このように述べています。
価値とは無縁に見えるものにも、それとは気付かずに私たちは価値判断を持ち込んでいる。価値観も自身の体のつくりとは無縁ではない。
(上記『ウニはすごい バッタもすごい – デザインの生物学』より引用)
そうですよね。私たちはいくらニュートラルに判断していると思っていても、自分の身体からは絶対に自由になれないものなのだろうと思います。
縁起の良い宮田塾で幸運をつかみましょう、いや違った、「奇数」というちょっとした名称にも、人間の価値観が含まれているという話でした。