新元号「令和」は国語的に見て素晴らしいと思う 1

皆様ご存知の通り、新元号が発表されました。「令和」。実に素晴らしい元号だと思います。今はこれ以上の元号を考えつかないほどです。この「令和」を国語的な観点からあれこれと。

新元号発表の前日、私と副代表は某所に出かけました。久々の夫婦だけの一泊旅行です。往路で通りかかった大阪万博公園は、四分咲きぐらいでしょうか、既に桜が咲いており、人々でにぎわっていました。

いかにも春らしい様子に、私達二人は、「ようやく冬が終わった〜!春が来た〜!」などと何度も喜びを噛みしめつつ、名神高速を北上します。塾の仕事こそ二人でしていますが、両者とも何やかやと忙しく、仕事以外のことを二人きりでゆっくりと話す機会はなかなかありません。

あれやこれやと話しているうちに、目的地に到着しましたが、あらら、こちらの桜はまだ零分咲き(要するにまだ開花前です(笑))。桜の名所なんですけどね。しかも結構寒い。いや、すごく寒い。いわゆる「花冷え」というやつです。

結構雨が降っていたんですが、雨上がりにはくっきりとした虹が見られました。こんなにくっきりした虹を見るのは久しぶり。

ただ、梅の花は車窓から時々見ることができました。桜に負けず劣らず、梅花にもなかなかの風情があります。少し遠くに仰ぎ見る山肌にはまだまだ雪が多く残っており、雪と梅のコントラストが印象的なのでした。

もう4月というのにまだ雪化粧。

ホテルの部屋では、好きな音楽を聴きつつ好きな本を読んでゴロゴロ。ひたすらゴロゴロ。飽きてきたらウトウト。ゴロゴロ、ウトウト、ゴロゴロ、ウトウト、ゴロゴロ、ウトウト、怠惰最高(笑)。

明けて翌日。新元号が気になりますが、午前11時がチェックアウトタイムでしたので、午前11時30分の元号発表を部屋で見ることは出来ません。

新元号の発表を見るなんてことは、この先の人生でもそうそう経験はできないことですから(もうあと一回見られるかどうか……)、是非見届けていこうということになり、チェックアウトを終えた後、ホテルロビーのテレビ前に陣取りました。

「なあなあ、平成で一番印象深かったのって何?」

もちろん、私達二人のパーソナルな面で言えば、結婚、出産、育児、開塾、親の逝去など大きな出来事がいくつもあったんですが、「日本社会全体を見て」という意味での問いです。

妻は一言のもとに言いました。

「それはやっぱり東日本大震災だと思う。」

私も全くの同意見。多くの命が自然の無慈悲な力によって一瞬にして奪われただけでなく、原発という科学の結晶が、国民皆を恐怖の底に陥れたわけですから。自然と人工という二つの脅威が、私達の眼前には常にぶら下がっている、そんな諦念が全国民の心の底に焼き付けられたのが、東日本大震災だったと思うのです。

どなたもそうかもしれませんが、私は東日本大震災の惨状を見て、少しでもいいから何かの役に立ちたいと思いました。そして(ごく僅かではあるけれど)、いくばくかは出来る範囲のことをしてはみました。

ただ、それだけで心が休まることはありませんでした。その時に、ふと思いついたのが『万葉集』全編を読み通すことでした。ちょっとナイーブすぎる振る舞いかもしれませんが、それは私にとって、とても自然なことのように思えました。全編4500首を原文で読むのは、正直に言えば骨の折れる作業。途中しばらく放置した時期もありましたが、こつこつ読み進めて読了に至りました。

この顛末はブログの記事にしてみたことがあります。

万葉集を少しずつ

 

さようなら万葉集

 

もちろん、暗唱している歌などはごく僅かですし、万葉集採録の和歌をすべて理解しきったなどと言うつもりはありません。しかし、万葉集が自分の養分となり、自分の中のなにがしかを形成してくれたことだけは確かであるように思います。

そんなことを思い出したり話したりしていると、テレビの画面に菅官房長官が現れました。少し緊張。「平成」の時って、こんなに緊張したっけ?

「新しい元号は『令和』であります」

「いいよ!これはいい!素晴らしいよ!予想していたのより遥かに!」私は思わず声を上げてしまいました。

時間的都合からすぐに移動する必要があったので、「令和」という年号だけを聞いてホテルを後にしたんですが、1時間ほど後に入ったサービスエリアでニュースを読むと、何と「令和」の出典は「万葉集」であるとの由。

驚愕しました。「万葉集」で「平成」を悼み見送った私にとって、「万葉集」は天平時代と平成をつなぐ和歌集。その「万葉集」を出典として、今また新たな時代が宣せられる。これを文学と呼ばずして何と呼ぶのか。

思わず、万葉集にある「言霊の幸ふ国(ことだまのさきはふくに)」(「言葉の呪力によって幸福がもたらされているわが国」といった意味の美称)という言葉が口を衝きます。前回の記事でも書きましたが、元号はまさに文学也。

個人的な話がずいぶん長くなりました。ここからは「令和」という元号を国語的に分析してみたいと思います。

と言いつつ、時間がないので、国語的な話はまた次回にでも。