本は1ページだけでも役に立てば十分だ

ここ数ヶ月、ある分野について勉強しているんですが、どうも腑に落ちない部分がありました。もちろん、色々調べてはみるんですが、なかなかよい結論が出せない。

そんな時一番良いのは指導者や先達に聞くことですが、そうも行かないことが多いですよね。

次善の策は、放っておくことです。いや、本当に。完全に忘れるわけではないんですけれど、とりあえず先送りにして、別のことをしておく。すると、ある時突然に理解・問題の解決が空から降って来る。もちろん、毎回じゃないですけどね。そのまま永遠に忘却の彼方にいってしまうこともあるわけですが、それはそれでOK。忘れてしまっているんだから、とくに問題は感じなくて済みます。

もちろん、理解が空から降ってくるという表現は比喩です。正確に言うと、無意識下でずっと考えつづけている問題が、なにかのきっかけで一気に解決される状況とでもいうことになるでしょうか。

で、その一気に理解・解決される「きっかけ」なんですが、私の場合は、やっぱり本が多いですね。

今回の場合は、カフェで関連書籍を読んでいて、あるページの数行に触れたことが、理解への起爆剤になりました。「ユリイカ!」なんて格好の良いことはさすがに言いませんが、思わず「おおお!」と声を上げて、隣の人にジロジロ見られてしまった(笑)。

もちろん、あれこれ無意識下で考えていたからこそ、理解に至れたとは思うんですが、やっぱりその「きっかけ」も大事だと思うんですよね。もし、その本に、そのページに、その数行に触れていなかったら、未だに理解はできていなかっただろうと思いますし。

そんな意味で、本っていうのは、1ページでも役立てば、それで十分に役立ったと言えると考えています。極端に言えば、ある一語だけでも役立つなら十分役立つ書籍だと評価できる。

前述の書籍のレビューをAmazonで見てみると、結構酷評されていました。曰く「書かれていることはほとんどが分かりきったことだ」「大部分の記述は既存の知識をまとめただけにすぎない」。

でも、それは逆に言えば、ある程度は知らないことが書かれているわけですよね。それなら、その書籍はその人にとって大いに役立ちうるものだとも言えるんじゃないか。

本・参考書・問題集は全篇にわたって役立つものでないとならないと思う方が時々いらっしゃいますが、それはあまりにも窮屈な考えじゃないでしょうか。人間といっしょで、役立つことしか言わないヤツは逆に付き合いにくい。人間であれ本であれ、時々役立つだけで十分価値ありだと思っています。