平成もあと一ヶ月と少々。私の世代は、昭和と平成、二つの時代を過ごしてきたわけで、新年号で三つ目。生徒さん達は平成生まれの子達ばかりですから、新年号が二つ目。
いずれにせよ、個人的には、年号(元号)というものは悪いものではないと思っています。元号制度は、天皇制に関する政治的思想によりその好悪が別れやすいところですが、そんな無粋な話をしているのではありません。
こんなに文学的な事柄が、大化の改新の頃から、この21世紀にまで引き継がれているというのが、情趣に富んでいて素敵だなと思うわけです。
ただ、仕事や日常生活の上では、不便極まりないものであるとも思っていまして、書類管理やファイル管理などにおいて年号は一切使わないようにしています。役所関係の文書、無理やりにでも年号で書かせられるんですが、あれそろそろやめてくんないかな……。
昨年更新してきた運転免許なんて、「有効期限平成33年まで」って記載されているんですよね(西暦併記もなし)。明らかに平成33年なんて存在しないのに。ん?なんで免許の有効期間が3年なのかって?多くは聞かないでください(涙)。
年号は、ちょうど雅号のように、文学的な場でのみ利用するようにしてくれればいいのになと思います。例えば、歌会始の儀なんかを初めとする皇室行事とか。生まれ年を「昭和○○年」「平成○○年」なんていうのも風情があって好きです。ただ、ビジネス面や勉強面での利用は不便すぎる。
要するに、「元号制度には大いに賛成、元号の普段使いは反対」というのが私の立場なんですが、どうもこのあたりは全面賛成vs全面反対、オールorナッシング的な発想の人が多すぎる気がしています。
新年号の発表まであと三日。数十時間後には新年号が発表されるわけですが、どんな年号になるんでしょうね。「宮田」とかどうだろう?ダメですよね……(笑)。
冗談はさておき、私がこの記事で言いたいのはここから。
新年号の案は、おそらく中国文学系の碩学があれこれと出されているであろうと思うんですが、今回は皇后陛下に一任してお決めいただくというのはどうだろうか。
私、毎年、皇后陛下の歌会始の歌を楽しみにしてお読み申し上げているんですが、本当に素晴らしい才能と人格をお持ちであることが伝わってくるんですよね。この方が新年号をお決め下されば、なだらかで、それでいて高潔な文字を選ばれるに違いないと思います。そして、それは国民の多くが納得できるものになるんじゃないだろうか。
事の性質上、民主的なプロセスを経にくいわけですから(「文学」を民主的に作ってもロクなものにならない)、それならいっそのこと皇后陛下に一任し申し上げるというのもありなのでは。今回は日本文学を出典とするという噂もありますし、それならなおのこと……。
形式的には学者が考え、内閣が承認して、という風になっているけれど、実は皇后陛下が独断でお決めになっていた、なんて裏話があればいいなと思ってしまうここ数日。
ま、妄想はこれぐらいにしておくとして、今後数十年の使用に堪えうるいい年号が発表されるといいですね。