国語の読解と視点の動き

興味深いと思った動画を紹介します。

What Does a Pianist See? | Eye Tracking – Episode 1

ピアノのプロ演奏者(かつ指導者)と学習者では、視点の動きにどのような差があるかがよく分かる動画です。動画を見るのが面倒だという人のために概要をまとめておきましょう。

プロのピアニストは視点の動きが少なく、アマチュアは視点の動きが大きいんですね。プロがバッハ(私の好きなイタリアン・コンチェルトですね!)を弾く映像、アマチュアがベートーベンを弾く映像を見比べるとよく分かるんですが、簡単に言えば、アマチュアは視点が定まらずぶれ気味。

この辺りは、想像通りだろうと思います。面白いと思ったのは、楽譜を見ている時間と自分の手を見ている時間の比率です。

プロの場合は、楽譜:手=83:17
アマチュアの場合は、楽譜:手=58:42

という比率になっているんですが、これは素人が横で見ていても分かる差だろうと思います。アマチュアは楽譜と自分の手をほとんど交互に見ているということになりますからね。


楽器が全然弾けないので、別の分野に話を振ります(笑)。

私がバイクに乗り始めたのは16歳の頃。バイク乗りだった父に、その頃厳しく言われたのは「運転中、クラッチやシフトペダルを絶対に見るな、前を見ろ」ということでした。

バイクは、アクセルとフロントブレーキとリアブレーキとクラッチとシフトペダルを、両手両足で同時に操る乗り物。初心者はどうしても、今何速なのかが気になって仕方がありません。今3速だったっけ、4速だったっけ?勢い、シフトペダルを見てしまうということになりがちなんですが、左足で操作するペダルを見ても何速か分かるはずはありません。見たって何の意味も無い。それどころか、運転中に下を注視するのは極めて危険な行為です。

慣れてくると、アクセルに対する反応や、エンジンブレーキの効き具合で何速かなんてすぐに分かるようになるんですが、というか、何速かを意識せずに操作できるようになるんですが、初心者の間はそれが難しい。


どうしてこんな話をしているかというと、受験国語の指導をしているときに、よく似たことを感じるからなんです。

授業で論理的な文章を取り上げる際は、まず生徒に文章を読んでもらい、概要を私の方で説明します。

第1段落は「○○が起きるのはなぜだろうか」という問題提起ですね、第2〜4段落はそれに関する実験方法の説明ですね、第5〜6段落は実験結果の説明、第7〜8段落は結果から導かれる帰結・まとめですね、といった具合。

もちろん、生徒のレベルや成長段階に応じて、用いる言葉や説明の速度は変えますけれど、大まかな骨組みをつかんでもらうという趣旨は変わりません。

その後、問題を解いてもらうことになるわけですが、その際、私がよく見ているのは、「生徒の視点」。つまり、生徒が文章のどの部分を見ているかです。個人的には先生にジロジロ見られるのが嫌いだったので、チラリチラリとさりげなく見るようにしていますけれど。

例えば、「実験によって昆虫はどのような状態に陥ったか」という問題であれば、「実験の結果」を聞いているわけですから、第5〜6段落に答えや根拠を求めねばならないはず。

スッとそれらの段落に目を走らせていれば、最初から文章をよく理解している、または、説明を聞いて文章の骨組みをつかめているということになります。私としては、必要に応じ、的確な解答を書けるようなヒントを出したり、いきなり答案を見せてもらったりという段階に移ることになります。

逆に視線があちらこちらにさまよったり、また第1段落から丁寧に読み始めた場合は、まだ文章の概要がつかめていません(または題意がつかめていない)。「○○君、実験の話は何段落あたりに書いてあった?」「じゃあ、その実験の結果は前に書いてあると思う?後ろに書いてあると思う?」というような感じで、骨組みを再確認させるような作業に戻るわけです。

そんなわけで、生徒が文章のどこに目を走らせているかには、結構気を付けています。ピアノの演奏を教える人も、バイクの運転を教える人も、国語の読解を指導する者と同じようなところを見ているのかもしれません。