桜の樹の下には屍体が埋まっている

本格的に春到来。そろそろ花見にでも出かけたいんですが、なかなか手が空きません。桜の花を眺めながら紅茶でも飲みたいところ。

飲めや歌えの大騒ぎなんてのが苦手なんですよね。だいたい、桜の木の下で大騒ぎなんてちょっと野暮じゃござんせんか?ましてや、上司や同僚のために大きなブルーシートを広げて朝から場所取りなんて、無粋の極みではなかろうか。そう思ってしまう私は社会不適合者なのかもしれません。

桜の花を愛でて、穏やかな春を感じる。寝そべりながら何か小説でも読む。そのうち瞼が重くなって……。なんてのが私としては最高の花見。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」というのは梶井基次郎の言葉ですが、もっくん(愛情を込めてそう呼んでいます、とても愛すべき人柄の人だったと思うので)は、明るさだけではなく、何か陰鬱なものを桜の花に感じていたんでしょうか。

花見をするなら家族と一緒に、もしくは一人で、と思う私ですが、もっくんとなら何か花見が楽しめそうな気がします。何となくなんですが、彼の面構えが好きなんですよね。人のことを言えた身分ではありませんが、イケメンとは程遠い容貌。しかし勁いものが秘められた顔貌。

三高在籍時代、好きになった女性に告白するんですが、電車内で詩集の気に入ったページを破いていきなり「読んで下さい!」と渡したそうなんですね。バイロンだったか、イェーツだったか、とにかく英語の詩集です。

もっくん、それ無理ありすぎやで……。もうちょっと、女心を考えようや……。(笑)

でも、なんとなく馬鹿にはできない気もするんですよね。男からすると、打算がなくて一途な気持ちがあることは読み取れるので。早めに声を掛けてくれたら、何か手伝いしてあげたのに、なんて思ってしまう。

そうそう、梶井基次郎と言えば、彼の墓所は当塾から遠くないところにあります。谷町九丁目の近くの某寺なんですが、詣でるというか、見学に行ったことがあります。境内にいらっしゃった方に場所を伺って手を合わせていると、「ご親族の方ですか?」と尋ねられたことを覚えています。残念ながら、こんなに立派な文学者は私の血筋にはおりません。

桜の話がいつの間にかもっくんの話になってしまいました。彼と花見をすれば、どんな会話が楽しめたんでしょうかね。

いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がめそうな気がする。

梶井基次郎『桜の樹の下には』より引用