マイケル・ジャクソンが亡くなりました。享年50歳。
起伏に富んだ数奇な人生。晩年はほとんど「マイケル・ジャクソン」という戯画を自ら演じているような観すらありました。
偉大なポップ・アーティストの死ですが、個人的にはそれほどの感慨はありません。彼の全盛期は、私自身が中学生の頃と重なるんですが、その頃の私は、マニアックな音楽に傾倒し始めており、メジャーなロックや音楽を「商業ロック」として、否定的に捉えていたのでした。今考えてみると、いかにも幼稚な考えで恥ずかしい話ですが……。
そんなわけで、マイケル・ジャクソンについては、大した興味もなく過ごしてきました。もちろん、ベストセラーである“Off The Wall” “Thriller” あたりにはリアルタイムで耳を通していますが、入れ込んで何度も聴くというようなアルバムではなかったように思います。(ファンの方が読んでいたらすみません。あくまでも個人的な感想なのでお許しを。)
ただ、彼がたたき出したレコード売り上げ枚数(その頃はCDなどなかった)は、素直に驚嘆に値すると思います。wikipediaで調べてみると、歴史上最も多く売れた作品 “Thriller” は、全世界で1億400万枚以上の売り上げを記録したとのこと。「音楽の録音された盤を購入する」という行為がすでに過去のものになりつつある現在、この記録(MP3データではなくリアルな音盤の売り上げ記録)が破られることは決してないでしょう。ある意味、音盤時代の最後の華だったのかもしれません。
音楽プロモーション・ビデオの質を向上させた点も特筆に値するでしょうし、ステージ上のダンステクニックを極端に高めていったのも彼の功績でしょう(フレッド・アステアに傾倒していたという話を聞いたことがあります)。
どうでもよい分析はこれぐらいにして、宮田塾の所在する玉造に関係するお話をば。マイケル・ジャクソン全盛期の話です。
かつて近所(当塾から歩いて3分ぐらい)にレンタルビデオ店があったんですが、ある日立ち寄ってみると、店内で撮影されたとおぼしきマイケルの写真がカウンターの所に堂々と飾られています。どうみても「そっくりさん」ではなさそう。思わず店長さんに聞いてみると、「いやー、急に来られたんでビックリしましたわー!」との由。
何でも、大阪城ホールで公演を行った際、宿泊先(おそらくホテルニューオータニ)からお忍びで出てきたマイケルは、ビデオが見たいと言うことで、ふらふらとこの界隈までやってきたそうです。何を借りていったのか迄は聞きませんでしたが、やっぱりスリラー系だったんでしょうか。
生まれたときから住み続けているベタな下町玉造と、世界のセレブであるマイケル・ジャクソンがどうもミスマッチで大笑いした覚えがあります。彼が本当に全盛期の頃でしたからね。家に寄ってくれたらお茶ぐらい出したのに……。
ちなみに、年齢こそ違いますが、彼と私は同じ誕生日(数日前にペ・ヨンジュンの誕生日の話を書いたばかりですが)。晩年の迷走が、人間という存在の哀れさを訴えているような気がしてなりません。ご冥福をお祈りします。
Say, Say, Say – Paul McCartney & Michael Jackson
(寸劇仕立てで面白いです。ポールもマイケルも若い!)