先日、数年前のセンター試験問題を用いて授業をしました。その中で2013年度の問題を取り上げたんですが、この年の論説文は小林秀雄の「鐔」という作品。
小林秀雄と言えば、一昔前は大学入試における頻出作家。小林秀雄の文体はかなり好き嫌いの分かれるものだと思いますが、かつての受験生は否応なくこの作家・批評家に付き合わざるを得ませんでした。
ここしばらくは、彼の文章を大学入試で見ることもすっかり稀になり、小林秀雄も神棚に祀られるような存在になったのかなと思っていたんですが、2013年、何の前ぶれもなくいきなりセンター試験に出題されました。
小林秀雄を読みつけない受験生にはとても難しく感じられたようで、センター試験国語の平均点は急落。この問題のせいで志望校を下げた受験生なんかは、小林秀雄に恨み骨髄かもしれません。
この出題には賛否両論あるようですが、私自身はそんなに悪い問題だとは思いません。いつもの調子の論説文の問題形式です。これで点が取れない人は、小林秀雄やセンター試験出題者を責めるべきではなく、センター試験国語という出題形式に慣れていない自分を責めるべきでしょう(厳しいけれど)。センター試験で重要なのは、問題文より選択肢の検討方法なんです(必ずしも望ましいこととは思わないけれど)。
私自身、小林秀雄の大ファンというわけではないんですが、ただ、本居宣長を極めて高く評価したという一点だけでも、素晴らしいセンスを持つ人だという風に考えてしまいます。何とはなしに心惹かれる人。
だって、本居先生って凄い人ですから。私も本居先生のおっしゃることが全て正しいなんて考えている訳ではありません。むしろ、首をかしげるような主張も多い。しかし、その人となりというか、人格というか、その立ち居振る舞いが好きなんです。ミーハーなファンだと言ってもいい(笑)。でも、理屈で人を好きになるなんて弱いですよね。理屈を越えたところで人を好きになるのが本当でしょう?
もし本居先生がご存命なら、絶対お弟子にしてもらうんだ、お許し頂けるなら、三重県松坂まで毎週通塾させて頂くんだ!と思っているんですが、そんな私にとって、小林秀雄は兄弟子さん。兄弟子は気むずかしくて偉い人なので、私のような若輩者は相手にしてもらえないでしょうが(笑)。
ある編集者が語っていたのを聞いたことがあります。小林秀雄が奈良県の高畑あたりに住んでいた頃のこと。なかなか依頼していた原稿が上がらないので催促に行く。明らかに居宅内に人の気配があるのに、いくらベルを鳴らしても彼は出てこない。しつこく「先生、先生、小林先生!」と呼びながらベルを鳴らし続けていると、廊下をドタドタと駆けてくる音。
「やかましい!小林秀雄は在宅しとらん!小林秀雄本人が言うのだから間違いないっ!」
ガラガラ ビシャン!
このエピソードを聞いて以来、「小林兄さん」と勝手に思うようになりました。
おそらくこの時、彼は本居宣長(または誰か他の思想家)の著作を真剣に読んでいたのではないか。普通の人から見ると、本を読んでいるだけで暇そうに見えるんですが、彼にとっては古人との真剣な対話で大いに忙しい時間。魂を燃焼させている真っ只中に邪魔をされれば切れたくもなりますよね。
ちょっと気むずかしく難解な文章を書く(と思われがちな)小林秀雄は、敬して遠ざけられることが多いように思いますが、そんな人は講演会の録音を聞いてみられると良いかもしれません。
驚くほど聞きやすいんです。上品で、どこかほわっとしている。それでいて、いきなりズバッと斬り込んでくるところがある。ユーモアがあるのにスリリング。
小林秀雄の肉声を聞いて、私がいつも思い出すのは、落語家の古今亭志ん生。そしてミュージシャンの早川義夫さん。東京人の洗練・上品と、突然に(本当に突然に)核心に迫ってくる声を持つ人たち。
講演会の録音はYouTubeにたくさんアップロードされています。
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