何で読むか・どれだけ読むか

先日(といっても随分前ですが)、少し気になる記事を新聞で見つけました。

毎日新聞2010年7月3日付、青少年読書感想文全国コンクールに関する特集、童話作家・肥田美代子氏の寄稿です。

(上記記事より一部引用)
私たちは本を読むことで、しらずしらずのうちに漢字を覚え、文章の書き方を学んでいる。本や新聞をよく読む子どもの基礎学力は伸びるという。読む行為の繰り返しが、書かれた文章を正確に読み解く力を育てるからである。本や新聞を読むことで身につく国語力は、国語のためだけではなく、すべての教科の基盤となる。

至極真っ当な主張だと思います。文章を大量に読むことは、子供であれ大人であれ、必ず役に立ちます。国語力の基礎は文章を読むことで培われるという点に何の異論もありません。

ただ、気になるのは、文章を読むことを「本や新聞を読むこと」に限定していることです。上記の記事は新聞に発表されたものであることに加えて、かつては国会議員も務めた童話作家である肥田氏が寄稿者であるためか、ややポジショントークになっている嫌いがあります。

個人的には、文章を読む媒体は何でもよいと思います。「本や新聞」にこだわらなくともよい。もちろん、紙媒体が便利な場合もまだまだ多いとは思いますが、紙媒体でなくてはならないということもないでしょう。紙を何にでもどこにでも使うというのはやや贅沢なのではないか。私自身、本が大好きなんですが、もう紙媒体で保管してゆくことは不可能だろう、今後は電子媒体を使わないと無理だろうと割り切っています。

思うに、国語力を伸ばすために重要なのは、大量の文章に目を通すことであって、その媒体は電子機器であっても全然構わない。ウェブサイトやブログにも見るべき文章はいくらでもありますし、今はまだ青空文庫ぐらいしかない文学作品も、今後はiPadなどの電子媒体で読めるようになるでしょう。しかも、著作権が切れている作品についてはほとんど無料で。これは国語の勉強という観点からすると大きな福音ではないでしょうか。

今後も、書籍業界や新聞業界は「紙媒体で読むことが大切だ」と主張してくるでしょう。私も紙媒体で読むことは大変楽しいことだと思います。しかし、より大切なのは、「何で読むか」ではなく、「どれだけ読むか」だと思うのです。