司馬遼太郎と聞くと、歴史小説をイメージされる方が多いかもしれません。もちろん長編歴史小説はいずれも傑作ですし、そのイメージに間違いはありません。
しかし、彼の残したエッセイ、対談集、講演録は長編小説に勝るとも劣らないほど面白いものです。歴史小説が表の顔だとすれば、エッセイ類は舞台裏を見せてくれる別の顔。
大量に残されたエッセイ類も書籍になっていますが、お薦めはタイトルにも挙げた、新潮文庫『司馬遼太郎が考えたこと』第1巻~第15巻です。執筆年代順にエッセイが集められており、司馬遼太郎の興味の変遷がよくわかる編集になっています。
全部で15巻、総計7500ページありますので、全部を読むのはちょっとしんどいかもしれませんが、興味のある方は1冊でもどうぞ。連続した小説ではありませんから、どこから読んでも大丈夫です。
この文庫本シリーズが発売され始めたのは、調べてみると2004年12月。毎月、だいたい2巻ずつ発刊されていたように記憶しています。彼のエッセイをまとめて読みたいと思いつつも、その機会がつかめなかった私には、渡りに船の企画でして、発売毎に購入しては楽しく読んでおりました。
しかし、第10巻目を読み終わった頃に中断。第11巻~第15巻については、読まずにほったらかしになっておりました。あまり記憶にないんですが、その頃他の読書に忙しくなったんでしょうか。
今年2月頃、書架整理をした際に、第11巻~第15巻が未読だったことにふと気づきまして、残り5冊分を読了した次第。1冊500ページ程度ですが、司馬遼太郎の文章は読みやすく、私にとって興味深い分野を扱っているので、あっというまに読了しました。
思うに、司馬遼太郎の文章は、文学味があえて消されているところが魅力なのではないでしょうか。難解さ・ケレン味が意識的に回避されているといってもいい。彼はもともと産経新聞の記者なんですが、平易な語り口を用いるという「大人の姿勢」は、その経歴と無関係ではないと思います。
もちろん、司馬遼太郎に文学性がないと言うのではありません。長編小説を読んでいると分かりますが、高い精神世界にグンと飛翔しようとする部分、言い換えれば文学性の高い語り口がいきなり現れるところがあるんですよね。もちろん、彼はそれをダラダラと続けることはありません。それがかえって効果を高めています。
いわば、「大人の姿勢」を取りつつも、「子供の魂」を秘めた文章。
そんな文章を読むことが不快であるはずがありません。私が司馬遼太郎に親しみを感じるのは、その辺りにあるんじゃないかと自己分析しています。
といって、ファンかと言われると返答に困ってしまうんですよね。長くなってきたので別記事にて。
<参考記事>
司馬遼太郎・司馬史観・なつかしい人:宮田塾のブログ