父と息子の二人旅・男旅

私には現在小学3年生になる息子がいるんですが、年に一度は時間をとって二人きりの旅に出ることにしています。我が家では「男旅」と称されており、私と息子にとって、この上もなく重要なイベントになっています。

ことの発端は、息子が生まれたばかりの頃、山崎利彦さんという方の育児エッセイ『ただいま子育て中につき本日休診』を読んだこと。(惜しいことに現在絶版中。詳しくは下記ブログ記事をどうぞ。)

育児書を捨てよ 育児エッセイを手に

山崎さんは医師。子育てに専念すべく医師業のペースを落とし、兼業主夫をしていらっしゃった頃の話がとても楽しい本なんですが、その中で特に私が感銘を受けたのは、「三歳の旅」の話。

山崎家では、子どもが三歳になると父親と二人だけの旅に出ます。少し引用します。

三歳になれば、(中略) 人格的な基礎が出来上がってきて、そろそろ自分の意思で自分の世界を広げることができるようになってくるころである。私たちは、子供たちがその自覚を深めるために、一つの大きな企画を立てた。それが「三歳の旅」である。

三歳の旅というのは、子供が満三歳になってから、当人と父親である私の二人だけで旅をするというものである。(中略) 区切りの旅であるから条件を作った。

1.原則として、自分の荷物は自分で持つ(たくさん必要なのでオムツは例外)。

2.原則として、おんぶや抱っこはしない。自分の足で歩く。

3.無理を言ったり泣いたりしない。泣き言を言わない。

4.子供にとって、少しきついスケジュールにする。

(山崎利彦『ただいま子育て中につき本日休診』より引用)

実際に、山崎さんの娘さんはこの旅で大きな自信を身につけることになります。そして姉としての自覚を持って妹たちに接するようになってゆきます。

教育の要諦を示しているこのエピソードに感銘を受けた私、ウチも息子が三歳になったら、山崎家の顰みにならって、二人旅に出ようと決意したのでした。

そして数年後、息子が三歳になった夏に「三歳の旅」を決行。この旅は五年が経過した今も、我が家の(というより私と息子の)語りぐさになっています。大げさに言えば、一つのファミリー・ヒストリー。


宮田家版「三歳の旅」は、上記ルールをほぼ踏襲しました。

自分の荷物は自分で持つ。オムツに関しては、ほぼ使わずにすむレベルではあったんですが、一応何枚かは持参。それも含めて自分で持つ(子供用リュックサックに入れて行きました)。おんぶ・抱っこは絶対にしない。どんな時も一人で歩く。わがままは言わない。

問題はルート&目的地です。大阪市から一泊で行くのに適している場所、その一方で、ある程度の「冒険性」を満たしてくれる場所。あれこれと息子と相談した結果、行き先を香川県高松としました。その頃の息子は電車に興味を示していたので、JRマリンライナーに乗って瀬戸大橋を渡り四国に上陸する、というのも大きな目的となりました。自動車だと突発的な事態に対応できないですしね(私が運転に手を取られるので息子の世話が手薄になる)。

旅行当日。今、出発時の写真を見ると、二人とも少々緊張気味の顔(笑)。息子が緊張するのは当然なんですが、大人である私も少し緊張したのを覚えています。

通常は、息子の面倒を見てくれる妻なり母なりが傍にいる環境にあるので、何か突発的な事が起こっても、誰なりかが息子をフォローすればいいんですが、旅に出れば息子をフォローできるのは私一人。まだまだ手のかかる息子の世話、私一人で大丈夫かな、いきなりお漏らしされたらどうしよう(恥ずかしながらまだトイレトレーニングの最中でした)、という緊張です。

ま、案ずるより産むが易し、レッツ・ゴー!

まず新大阪駅から新幹線に乗り岡山駅まで。生まれて初めての新幹線「ひかりレールスター」に大興奮。「ホームではちょっとぐらい大声を出してもいいけれど、車内では静かにしなさいよ」と念を押してから乗車。幸い、言うことは聞いてくれるタイプなので、私も車窓からの景色を楽しみました。

しばし岡山駅内を散策して、「マリンライナー」に乗車。これまた初の瀬戸大橋・本州脱出ということで大興奮。残念ながら、雨が降り出したため、瀬戸内海の景色はあまり映えず。それでも二人して「おお!瀬戸内海はいいね!」と楽しむことができました。

高松駅に到着後、近所のホテルにチェックイン。大阪からそう遠くはない香川県ですが、思っていた以上にスムーズに到着してほっと一安心。

私も高松に滞在するのは初めてでして、初日は町を散策したり、讃岐うどんを食べたり、船で鬼ヶ島(女木島)に渡ったりして楽しみました。二日目は、高松城を散策してお堀の鯛にエサをやったり(お堀が海と接続されていて海水を引き込んでいるのです)、「琴電」というローカル電車に乗ってみたり。

「琴電」に乗って降り立ったのは、菊池寛通り。全く私の個人的な趣味です(笑)。菊池寛は高松出身なんですが、生家のあった通りが菊池寛通りと命名されています。

お薦めの作家(明治期-大正期-昭和初期) #2


(この後「悲劇」が待ち受けていようとは知る由もなかった)

『父帰る』の銅像を見たり、菊池寛の銅像を見たりしながら、「ここが菊池寛の育った町なんだな」と感慨に耽っていると、いきなり息子が「パパ、おしっこ!」不案内な町なので、どこにトイレがあるかよく分かりません。「もうちょっとガマンできるよな?」「もうムリ!」「おいおいおい!!!」

菊池寛通りを二人して走り回って、ようやくコンビニを発見!店員さんに「す、すみませんが先にお手洗いをお借りしたいんですが!あとで商品は購入します!」と告げるも、「すみません、この店、お客様用のおトイレはありません。」との残酷なお告げ。ただし、同一ビル内のトイレを案内してくれました。

慌ててそちらへ走って、男性用の便器で用を足させます。「まだトイレトレーニング中なので、かなり危うかったな〜、でも何とかなったよ、ほっ!」と思って息子を見ると、便器の外に排尿中!おいおいおい!息子の尿に濡れながら、便器に向かわせます(笑)。3分の1ぐらいは便器の外に出てしまったよ……。

申し訳ないので、置いてあった掃除道具を使って清掃。床がタイルで良かった……。後で入ってきたサラリーマンは事情を察知してか、笑いをかみ殺していました。そんな訳で、私にとって菊池寛通りは、おしっこ通りのイメージに(笑)。他にも色々ヘマをしでかしましたが、それもまた二人旅の楽しみ。

帰宅後は、行儀良く電車で移動したり、荷物を自分で持ってしっかり歩いたり、私の言いつけをちゃんと守ったりという基本的な部分が出来ていた事を、褒めてやったのでした。

甘えん坊な息子ですが、この旅を機にほんの少しお兄ちゃんになってくれた様な気もしたのは、親の欲目かもしれません。ただ、息子にも私にも、かけがえのない思い出を残してくれたことは間違いありません。

この「三歳の旅」は、男二人だけの旅がとてつもなく楽しく、(親からすると)教育的意義に満ちていることを教えてくれました。それ以来ほぼ毎年、二人だけの旅を計画しては実行しています。四歳の旅、六歳の旅、七歳の旅(五歳の時は私が忙しすぎて旅行の時間が取れず断念)。いずれの旅も、この上ない思い出になっており、しょっちゅう息子と旅の話をしています。

今年も「八歳の旅」が待っています。いつまで息子とこうした旅を楽しめるでしょうか。

<関連記事>
父と息子の二人旅・男旅「思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」
阿蘇大橋崩落に思う