田辺聖子『文車日記 私の古典散歩』

先日、田辺聖子の『文車日記 私の古典散歩』を読みました。とても面白かったので、ご紹介。

文車日記―私の古典散歩(新潮文庫)
田辺聖子
文車日記―私の古典散歩 (新潮文庫)

以前から『文車日記』の存在は知っていましたが、最近、大学受験向きの古文問題集にお薦め書籍として掲載されていたのを見て、読みたいと思った次第です。

一時期、副代表がお聖さん(失礼千万ながら敬意を込めてそう呼ばせて下さい)の小説をよく読んでいたので、持っていないか聞いたところ、とっくにブックオフに売ったとの由。ありゃま。売る前に声を掛けてくれよ(笑)。仕方がないので、新たに購入しました。

その古典文学の厚みにおいて、日本は欧米諸国を圧倒していると思うんですが、敬して遠ざけられるのが古典文学の常。もっと気軽に日本の古典文学を楽しみましょう、そしてその神髄に少しでも触れてみませんか、というのがこの本の趣旨。古典に詳しい人が楽しめるのはもちろんですが、古典ビギナーにもサービス精神一杯で応えてくれます。

文庫本裏にはこんな文句が記されています。

「民族の遺産として私たちに残されたおびただしい古典の中から、筆者が長年いつくしんできた作品の数々を、女性ならではのこまやかな眼と、平明な文章で紹介し、味わい深い古典の世界へと招待してくれる名エッセイ集。」

まことにうまく要約してあります。ポイントは、「女性ならではのこまやかな眼」というところ。お聖さんは、時に私などが読むのとは全く違った眼から読んでいらっしゃって、眼から鱗が落ちることしきり。特に女性がものした文章についての読み込みの鋭さには脱帽です。私としては客観的に読んできたつもりでも、いや、客観的に読んできたからこそ、書き手・詠み手の女としての本質・主観を見落としていたよな、などと思わされます。

上記案内文の通り、紹介される作品は、お聖さんが娘さんといってよい時代から、愛し慈しみ続けてきた古典作品です。そういう意味で偏りがないわけではありません。古典文学上、結構大事な作品であっても、しかつめらしい文章はあっさり無視されています。でも、それが良い!本当に好きな品物だけを集めたセレクトショップのような趣です。「私の眼鏡にかなう作品・商品しか置かないわ」という店主の態度が潔いですね。

加えて、作品も時代順には紹介されていません。時代順に並べると、どうしてもお堅い「文学史の勉強」ぽくなってしまうからでしょう。このあたりも柔軟かつ気軽でいい。そのかわり、対象とする時代の幅はとても広くなっています。古事記や日本書紀から落語・浄瑠璃、若山牧水(明治大正期の歌人)まで。お聖さんのセンス全開です。


少し具体的に紹介してみましょう。

伊勢皇大神宮に斎宮(いつきのみや)としてお仕えする大伯皇女(おおくのひめみこ)のもとに、飛鳥から大津皇子がやってくるシーン。万葉集をもとにお聖さんの想像力は羽ばたきます。

<姉上、大津です!>
まだ馬上の息の乱れもととのわぬまま弾んでいう声に、斎宮の大伯皇女は驚かされました。戸口いっぱい、ふさがるような逞しい青年が、日に焼けた顔で笑っているのでした。
<どうして、また突然に出てきたの、大津……>
<急にたまらなく姉上にあいたくなって……それだけのことだ、思い立つと矢もたてもたまらぬ私の性質は、姉上もよくご存じのはず>
<まあ、大津……いつまでも幼児のようなことをなされてはなりませぬ>
大津皇子は哄笑して、うれしそうに姉の皇女をしっかりと抱きしめるのでした。
<そうやって、姉上に叱られたかったのですよ。ああ、会いたいと思ったのは、このためだったのですよ>
<大津よ。わたくしとて、あなたのことを考えぬ日は一日もありませなんだ……。ことにお父さまのご病気がお悪いという都の噂を聞いてからは……>

(田辺聖子『文車日記 私の古典散歩』「あね・おとうと」より引用)

背景を説明しましょう。この時、姉である大伯皇女は20代半ば、伊勢で神に仕える身です。一方、弟の大津皇子は20代前半。お聖さんの言葉を借りれば、「豪快で奔放で、才気にあふれ、人々に期待され、また畏怖されている」立派な男です。

そんな弟も、飛鳥の都では、かなり難しい政治的立場に置かれています。父の天武天皇は、草壁皇子(異母兄)を皇太子に、大津皇子をその補佐者に決めましたが、人望・才能・器量すべてにおいて、大津皇子が草壁皇子を上回っています。草壁皇子の母親である皇后は、自分の子でない大津皇子を快くは思っていません。

今も昔も、政治の世界で、ナンバー2が実力においてナンバー1を上回るとき、それは謀殺またはクーデターの時です……。

<私は酔った。酔って、姉上に世話をかけたい。私を、甘えさせて下さい、姉上。私がうちとけられる場所は、あなたの前だけなのです>
(中略)
皇女は酔い伏した弟のあたまを膝にのせました。凄艶な皇女は灯影で見ると、なお美しくやさしく、大津にはこの世のものならぬ、女神かと思われます。

(田辺聖子『文車日記 私の古典散歩』「あね・おとうと」より引用)

都に戻った弟に不幸が襲います。大津皇子をかばってきた父天武天皇が崩御。謀反のかどで捕まった大津皇子は死を賜ります。

伊勢より大和へ戻った大伯皇女の詠んだ歌。

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど
見すべき君が在りといはなくに

磯の上に生えている馬酔木を手折って
あなたに見せようと思うけれど
肝心のあなたはもうこの世にいないのですね

神風の伊勢の国にも在らましを
何しか来けむ君もあらなくに

伊勢の国に居続けるべきだったのに
どうしてこんな大和にのこのこと帰ってきてしまったのか
愛するあなたはこの世にいないというのに

大切な者を喪ったことがある人は、大伯皇女の言葉を、頭ではなく胸の奥で感じ取れるのではないでしょうか……。

紀貫之「土佐日記」についての随想など、他にもご紹介したいところはあるんですが、長くなりすぎたようです。またの機会とお預かり。