私は食通でも何でもないんですが、というかめちゃくちゃな味音痴なんですが、料理人の言葉を聞いたり読んだりするのは好きです。料理人に限らず、職人の話を聞くのが大好きなだけなんですけどね。
先日、放置していた古い雑誌を読んでいると、東京は人形町にある有名老舗寿司店の特集記事が掲載されていました。私の食べるお寿司はいつも廻っていますので(笑)、縁もゆかりもない寿司店ではあるんですが、その繊細な仕事ぶりに感心します。
そして、ご主人のおっしゃることが、よく分かる気がします。
(厳しい仕事ぶりが紹介された後で) ただし、その仕事ぶりにはほどのよい鷹揚さも備わっている。分量、火の入れ具合、甘さ辛さの塩梅。それぞれに基準を問うてみると「うーんそのときの加減なんだよねえ」。しかし、はぐらかしているのでも隠しているのでもなく、それはむしろ、緻密な仕事ぶりの証左である。相手の状態に合わせつつ、自分の味の範囲に引きこむ手練手管。それを「職人」の技という。
雑誌『考える人』2011年秋号 「日本のすごい味」平松洋子 より引用
うん、おっしゃること、よく分かります。
先日、私も某出版社の取材をお受けしたんですが、「どのようにすれば国語力が上がるか」「どのようにすれば記述力があがるか」といった質問には、どう返答すべきなのか結構迷ってしまいました。
それは結局、その人の性質・理解力・今持っている語彙力・その日の体調など、あらゆる要素によって決定されるのであって、なかなか一般的な答えは用意しにくいんですよね。私もできればよいアドバイスをさせていただけたらいいなとは思うんですが、本当に「そのときの加減」としか言いようがないところがあります。別にはぐらかしているわけでも、隠しているわけでもありません。
まあ、私はまだまだへっぽこな職人ですので、熟達した職人さんの言葉を借りるのはおこがましいかもしれませんが……。
他には、こんな言葉にも共感を覚えました。
「ひとつのお店で十のうち八くらいおいしければいいんじゃないかな。きりきりやってしまうと、味にも店の空気にもゆとりがなくなる。長年やっていると、神経を尖らせてきっちりやらなきゃならないところ、かえってアバウトにやったほうがいいところ、そのバランスがわかってきます。」
雑誌『考える人』2011年秋号 「日本のすごい味」平松洋子 より引用
これは本当に経験的にその通りで、何でもかんでも神経を尖らせると、かえってダメなんですよね。
生徒さんを指導していても、「この子には、ここはしっかりと理解してもらって、絶対に間違わないように仕上げておかないと」という時もあれば、「ここは大体これぐらい理解しておけば十分だな、あんまり突き詰めると逆効果だな」なんて時もあります。このあたりは、やっぱり長年やらないとわからない呼吸。
「よそのひとにはあんなの冗談じゃない、手間も時間もかかってしょうがないと言われちゃうかもしれませんが、今やっているのがうちの仕事です。」
雑誌『考える人』2011年秋号 「日本のすごい味」平松洋子 より引用
お寿司を握るのに修業や経験が必要なのは言うまでもないでしょうが、それだけでなく「手間」と「時間」がかかるわけですね。これ、塾も全く同じ。本当に「手間」も「時間」もかかる作業だらけなんですが、「人に何かを教える」ということはそういうものだと思っております。
私もこの世界に足を踏み込んで30年以上が経過していますが、「職人のはしくれ」ぐらいにはなれたでしょうか。こればかりは皆様に評価していただく他はありません。これからも頑張ります。