六字の口癖でうまくいく

いや、記事の内容はとても良いんですけどね……。

受験業界でも有名な和田秀樹という医師がいらっしゃいます。この方が夫婦関係を初めとする人間関係についてアドバイスして下さっている記事の話。

これを言える夫婦の9割はうまくいく…医師・和田秀樹が「歳を重ねたら呟きなさい」と説く”6文字の口癖” 100%の完璧を求めていたら、人生はとてつもなく窮屈なものになる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/81986

まとめると、「相手に完璧を求めてはならない、相手も自分も60パーセントできてりゃ十分、『まっ、いいか』という精神で行けば人間関係はラクになる」という話でして、この意見には私も副代表も大いに賛同します。

生徒さんを教えていてもそうなんですよね。生徒さんに完全を求めても無理です。教える人間、教わる人間、別の人間なんですから。生徒さんが完全にこちらの思い通りに動いてくれる、学んでくれるなんてことは、まずありません。こちらの学んで欲しいな・伝えたいなと思っていることの60パーセントも伝わるなら、それはかなりの成功の部類に入るのではないか。

自分たちの力不足を自己弁護しているようで恥ずかしいんですが、人を教える職に就いて長い人ほど、そうした思いを持つんじゃないかなと思います。伝わらないという諦念、その一方で、何かが必ず伝わるという希望。その狭間で生きている。


とまあ、そんなことを考えさせる上記の記事なんですが、私が気になったのは “6文字の口癖” という表現。記事内にそんな表現は見当たらないので、この記事タイトル、おそらくは和田秀樹氏ではなく、編集者が付けたんじゃないでしょうか。

この記事のキーワードである『まっ、いいか』を、大切な “6文字の口癖” と言いたいようなんですが、この口癖を6文字だと思う人は稀なんじゃないだろうか。

発音しない読点「、」を一文字に数えるのって、かなり珍しい感覚であろうと思います。いや、もちろん受験生は句読点を1文字としてカウントして欲しいんですよ。しかし、試験の場以外では、「6文字」=「6音節」だと考えるのが普通ではなかろうか。

加えて表記にも揺れがあり得ますよね。「ま、いいか」「まぁ、いいかっ!」「ま〜いいっか。」余計に6文字だと認識しにくい。

おそらくは、記事のタイトルだけで納得されるとページビューが伸びないので、 “6文字の口癖” と思わせぶりな表現にしたのかなと。ほう、どんな口癖なのかな?という読者のクリック狙い。邪推すぎるでしょうか(笑)。


で、もう少し根本的な話をすると、普通「六字」って言うと、「六字の名号(ろくじのみょうごう)」つまり、「南無阿彌陀仏(なむあみだぶつ)」のことなんですよね。この語、小さな国語辞典にも掲載されているレベルの語ですので、特にマニアックな語彙ではないと思います。

だから、私が最初にこの記事のタイトルを見た時、「南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏とお念仏を唱えれば夫婦関係はうまくゆく」という意味なのかなと思ったんですよね。いや、マジで。お医者さんにしてはえらい抹香臭い記事を書くなあと(笑)。

私が「六字」と聞いてイメージするのは『菅原伝授手習鑑・寺子屋の段』。詳しい話は避けますが、寺子屋のお師匠が(どこかで聞いたような職業ですね)、寺子(生徒)の保護者に突如切りかかるというクライマックスシーンです。

刃鋭どに切り付くるをわが子の文庫ではつしと受け止め、「コレ、待つた、待たんせコリヤどふぢや」と、刎ねる刃も用捨なくまた切り付くる文庫は二つ、中よりばらりと経帷子、『南無阿弥陀仏』の六字の幡、顕はれ出でしは「コハいかに」と、不思議の思ひに剣もなまり……

文庫は子どもの教材を入れる箱です。切りつける刃をその木箱で受け止めると、真っ二つになった箱から、『南無阿彌陀仏』の六字の旗がバラリと出てくるという息詰まるようなシーン。このシーンを一度でも舞台で見れば、「六字」=「南無阿彌陀仏」が脳裏に深く焼き付けられます。

そうそう、『空也上人像』もいいかもしれません。空也上人が「南無阿彌陀仏」と唱えると、その一音一音が南・無・阿・彌・陀・仏になったという伝説を像にしたものです。


まあ、個人的には、夫婦関係・人間関係がうまくいくなら、唱える言葉はどんな言葉でもいいと思います。それは各自で見つけるべきものでしょうね。なんまんだぶ、なんまんだぶ。