最初は難しくても苦しくてもあきらめない

私はしばしばバイクに乗りますが、皆さんご存知の通り、バイクに乗る際は「グラブ」が必要です。時々素手で乗っている人を見かけますが、コケたら大変なことになるよと忠告したくなります。あくまで自己責任なんで実際に忠告することはありませんが。

人間ってコケた際は本能的に「手のひら」を地面につけますから、高速で移動する乗物から落ちた時にグラブをしていないと、見る見る「手のひら」がすり減っていく羽目に(笑)。高校生の頃、たまたま素手でバイクに乗っていてコケた際に痛い目に遭って以来、絶対にグラブなしにバイクに乗ることはありません。極低速だったけれどしばらくは手のひらがかなり痛みました。

そんなわけで、ほとんどのバイク乗りは、グラブ選択に一家言あることが多いと思います(多分だけど)。私のこだわりは小指の部分。ここに独自のプロテクションがあるモノしか認めていません。高速でコケた際に一番危なそうなのが小指ですよね。衝撃を和らげる必要があるのはもちろんですが、それ以上に小指の部分と路面との摩擦度が低く、うまく「滑る」ようにできていることがとても重要。摩擦度が高いと、路面に指や腕を持っていかれる感じになりますので。

このあたりは、レースの場で実戦を積んだメーカーのものが確実です。別に自分がレースに出るわけではありませんが、命がけの場で開発されたテクノロジーは、やはりいざという時に差が出るだろうと思います。


で、ここからが本題なんですが、私がもう一つグラブに関してこだわっているのは、「使い始めた頃はものすごく手に馴染みにくい・使いにくい」という点です。

最初からレザーが柔らかくなっていた方が、はやく手に馴染んでよい気がしますよね。でも、経験上そうではありません。そういうグラブは使っているうちにどうも頼りない感じが出てきて、「手の保護」という本来の目的から離れていってしまうんですよね。実際、柔らかいだけのレザーだと、常時ハンドルに当たっている手のひらの部分に穴が空くことがあります。

むしろ、グラブを使い始めた頃はかなり硬めの方が、なぜかいい感じに落ち着くことが多い。硬いレザーの場合、使い始めが大変です。長時間アクセルをひねり、フロントブレーキやクラッチを握ったり放したりしていると、手のあちこちに「靴擦れ」ならぬ「グラブ擦れ」が起きます。ひどい時は血が滲んだり(笑)。

今は低馬力のオフローダーに乗っているのでそれほどクラッチが硬いわけではありませんが、ハイパワーなバイクだと、もう握るのが嫌になってくるぐらい硬いクラッチがあります。ハイパワーの伝達を切ったり繋いだりするわけですから、やむを得ないんですが、そんなバイクで硬いレザーのグラブを使い始めると泣きそうに。

ただ、(だいたいのイメージですが)通算で十時間ぐらい使っているとほぼ落ち着いてきて、グラブが自分の手の形状に適合してくるようになります。そうなるとしめたもの。本当に使いやすくて安心感のあるグラブに変貌します。

最近使い始めたグラブ。比較的「試練」は弱めでしたが、やっぱり最初は痛みを伴いました。横は揚げたてカレーパン。美味しかったっす!


いつも思うんですが、これって人生の縮図だなと。最初は取っつきにくい・難しいと思っていたけれど、あきらめずに努力して取り組んでいると、いつの間にか自分にとってとても大切な存在・愛しい存在に変わってゆく。使っていて信頼できる。

逆に当初から親しみやすく感じていたものは、しばらく付き合ってみるとどうも底の浅いところがあるのが目に付いてきて、使い物にならないと判断せざるを得なくなる。

勉強や書籍もそうだと思うんですよね。最初は取っつきにくいなと思っていた授業や参考書が、実は一番自分のためになるということが結構あります。一定の努力を注いだ者だけに、授業や参考書がその実力や魅力を見せてくれる。

東大のある教授がエッセイめいた記事に書いていらっしゃった話。自分が学部生だった頃、教授の話術が巧みでとても楽しい授業があった。また一方で、雑談の一かけらもなくひたすら無味乾燥に思えて苦痛な授業もあった。自分が教授となった今振り返ってみると、前者の授業は今の自分に全く役立っていないが、後者の無味乾燥に思えた授業は自分の血肉となり学問のベースを形成してくれるものだったと分かる。後者の方が圧倒的に優れた授業だったと分かったのは人に教えるようになってからだった……というお話。

私どもは塾ですし、小学生を対象にすることが多いので、「無味乾燥に思える苦痛な授業」をしていてはいけないと自覚していますが、やっぱり「楽しい・簡単」だけで勉強は終わりません。子どもであっても、どこかの段階で「難しくとも、諦めることなくしっかり取り組まねばならない」ということを、(頭で理解するだけではなく)身に付ける必要があります。

人生ではそうした努力が大切だということ、そしてそうした努力こそが素晴らしい結果を生んでくれるものだということをしっかり見せてあげるのが、周囲の大人の義務なのだろうと思います。そんな大人を周囲に持てない子どもは不幸でしょう。ちゃんと義務を果たせているか少々自信がありませんが、仕事柄、私どもも頑張らねばなりません。