「最低でも○○には合格しろ」という言葉

ずいぶん暖かくなってきましたね。待ちに待った春到来。3月末までには溜まっていた雑用をすべて片付けられそうなので、そろそろ通常運転に戻ることができそうです。

昨年から今年初頭にかけては、我が家も受験臨戦態勢でしたので、とにかく休む暇がありませんでした。塾の生徒さんの受験と息子の受験、両方の対応でもうヘロヘロ(笑)。15年近く当塾を運営していますが、間違いなく一番忙しい一年でした。

次の我が家の受験は大学受験ということになるでしょうから、しばらくはここまで忙しい年度はないと思います。というか、大学受験は息子自身の力で勝手にやって欲しい。力を貸して欲しいと言われればちょっとぐらい手伝いはしますけど……。

我が家の中学受験の顚末はまた暇になった頃にでもまとめてみたいと思います。私も息子も大変ではあったんですが、とても楽しい日々でもあったんですよね。

今思うと、そう、なにか長い旅に出ていたような。私には見慣れた風景ですが、息子にとっては初めて見る風景。励ましたり、叱ったり、笑いあったりしながら一緒に進む道のり。割合としては、笑い85%、励まし10%、叱り5%ぐらいでしたでしょうか。

いつも思うんですが、中学入試はあくまでも通過地点。旅の途中の一風景です。11〜12歳での途中経過報告にすぎない。それがどんなものであれ、今までの努力とその結果を祝してやるべきです。思い通りになったからといって安心して良いわけではありませんし、思い通りにならなかったからといって腐る必要もない。ここからが本当の勉強のスタート。塾の生徒さんにも息子にも同じ事を思います。


保護者様と話していて、時々聞く言葉があります。

「最低でも○○中学には入ってもらわないと。」

この○○中学には、たいていの場合、かなり偏差値の高い学校が入るんですけどね。

個人的な意見ですが、こういう姿勢にはかなり危険なものがあるように思います。もちろん、保護者さんのお気持ちも十分理解できるんです。安くはない費用を支払って良好な勉強環境を整えてやり、朝から晩まで子どものことをお考えになっている。ここまでやっているんだから、あんたも頑張ってそれなりの結果を出しなさい。

ただ、子どもの立場にも立ってみることが必要じゃないでしょうか。中学受験の勉強というのは、小学生からすれば、というか、大人から見ても苛酷な試練です。一日に10時間机に向かうなんてことが常態化しているわけですからね。この世界で暮らしていながらも、ちょっと先鋭化しすぎじゃないかと危惧するぐらいです。

それだけの努力をして、レベルの高い○○中学に受かっても、最低限のラインをクリアしているだけで褒められることもない、それ以下のレベルの中学だとボロクソに叱られる、なんてことになったら、勉強する気持ち自体が失せてしまうのも道理ではないかと。

大人の世界で言えばこんな感じ。「最低でも年収3000万円は稼いでもらわないと」と妻に言われる夫。血のにじむような努力と徹夜を重ね、激烈な競争を勝ち抜いて、ようやく年収2000万円の勝ち組になったぞ!と思っていたら、奥さんに「本当にあなたってダメな男ね」「○○さんのお宅は年収3000万円、××さんのお宅に至っては年収5000万円なのよ!それなのに、あなたは……」なんてため息をつかれる。そんな日にゃあ、離婚まっしぐらですよね(笑)。

夫婦なら対等な存在ですから離婚すればいいだけの話ですが、親と小中学生ではそうもいきません。もちろん、精一杯の努力はして欲しいと思いますが、それで出た結果はどのようなものであれ親子共々明るく受け止めるべきじゃないでしょうか。

私の今までの指導経験上、第1志望校でなくとも、振り返ってみると、合格した学校が実は一番良いチョイスだったなんてことはよくあります。運命を信じるわけではありませんが、何かその学校との縁とでもいうべきものがあるのかもしれません。

第1志望校だと周囲がハイレベルなので、ずっと成績下位に位置してしまい、負け癖がついてしまう、結果大学受験も不首尾に終わる。反面、合格した学校では、自尊心を保ちながらしっかりと勉強に取り組めたため、大学受験で大きな花を咲かせた。そんなケースは何度も見ています。

要するに、「塞翁が馬」ですね。