もう随分前の話になった気もしますが、ウィル・スミスの暴力事件について思うことをば。
2022年のアカデミー賞授賞式は、受賞内容そのものはすっかり忘れ去られ、ウィル・スミスによるコメディアン平手打ち事件しか記憶されていないという状況ですが、これ、業界に関わる映画人全員にとって不幸なことだと思うんですよね。一生懸命に映画づくりに関わってきたのに、一瞬の暴力が映画に携わる人々の努力を無にしてしまう。私が映画人なら、ウィル・スミスを殴ってやりたい気分になっていたかも(笑)。
ご存知の方も多いと思われますので、事件の経緯は短めにしておきましょう。日本語訳付きの映像も置いておきます。
【ウィル.スミス】日本語字幕あり アカデミー賞でビンタ
アカデミー賞授賞式の壇上で、コメディアンがウィル・スミスの妻の容姿を揶揄するようなギャグを飛ばしたところ、ウィル・スミスが激怒して壇上に駆け上り、コメディアンに平手打ちを喰らわせる。コメディアンは特に慌てた素振りもなく話を進行した一方で、自分の席に戻ったウィルはコメディアンにさらなる暴言を浴びせた、という話なんですが、皆さんはどう思われましたでしょうか。
私が最初に思ったのは、「ウィル・スミスの負けだな」ということです。なんでも勝ち負けで考えるなと言われそうですが、明らかにこれは闘争シーン。どちらに軍配が上がるかを考えるのは自然なことだと思います。
まずここで、大人の世界における「公開の場における喧嘩」のルールを確認しておきましょう。大人の「公開の場における喧嘩」は「口喧嘩」「言葉によるバトル」です。暴力行為に及んだ時点で負け。これを勘違いすると大変なことになります。
暴力を振るうことが暴行罪や傷害罪に該当する、つまり自分の行為が警察沙汰になることは、大人として大変不名誉なことです。社会からの評価を極端に落としてしまう。
そして、何よりもこれが大事なことですが、暴力を振るった人には、言葉で相手と対峙し得ない「頭の弱い暴力的な人」という不名誉な烙印(スティグマ)が押されてしまう。
私達大人の恐れることは警察のお世話になること自体ではなく、社会からの評価を失ってしまうことであるはず。社会的動物である人間は否でも応でも社会の中で暮らさざるを得ないのですし、その中での評価の墜落は、家族や仕事や個人的生活などすべての面に多大な影響を及ばさずにはおきません。
そうした考えを元に今回のウィル・スミスの事件を考えてみると、もう圧倒的にウィルの方が不利な立場ですよね。
事件発生直後、日本ではウィル支持派が多いように見えました。支持する人々には「夫婦愛の発露としての暴力」という温情理解があったんでしょう。
一方、米国ではコメディアン支持派の方が多いように見えました。調べてみると、ウィル夫妻のどちらにも家庭外の愛人関係があったりするので、(我々日本人と異なり)事情を良く知るアメリカ一般人の観点からすると、「夫婦愛」という言葉がそらぞらしく聞こえたのかもしれません。
しかしそれ以上に、「『自己コントロール能力の欠如』に対してアメリカ国民の方が遥かに厳しい」という事情の方が大きな影響を与えているのだろうと思います。感情の赴くままに暴力を他者に振るう者には、あっさりと「自己コントロール能力を著しく欠く大馬鹿者」という烙印が押されてしまう。
そういう意味で、世界中の人が注目する、公衆の面前中の面前たるアカデミー賞授賞式でウィルの取った行為は、本人にとっても映画人にとっても最低な下策だったと思います。
こんなことを書くと怒られそうですが、ウィルが憤懣やる方なくどうしてもコメディアンに暴力を振るいたかったなら、彼の楽屋に押し入って殴るべきだったと思うんですよね(笑)。そうすればこんな大問題にはなっていなかったはず。
しつこいようですが、まともな文明社会では、言論への暴力は公開の場では是認されません。暴力を振るった側が「負け」と判定される。では、どうすればいいのか。
もう皆さんもお気付きですよね。当たり前ですが、「言論による不合理な攻撃」には「言論による反撃」を加えればよいだけです。
その際、個人的には間を空けてはならないと思います。即座に・咄嗟に・速攻で相手に言葉で攻撃を加えないとその威力が半減します。アンガーマネージメント?そんなバカらしい話は真に受けなくて構いません。相手が悪意を持った言葉で攻撃してきているんですよ。しかも家族の容姿を揶揄する、ギャグの皮をかぶった下品な言葉でです(報道によると、揶揄された彼女の頭髪状況は病気によるものであり、本人も気にしていたとの由)。即座の反撃を躊躇する必要はないでしょう。
で、その時に必要になるのはやっぱり「国語力」ですよね。「言葉の力」と言っても構いません。持てる機転と言葉の力で相手を下に置き、自らや家族の尊厳を守る。そしてそれを社会に知らしめる。
私がウィルだったなら、頭髪について悩んでいる家族が「お前の坊主姿の映画が見たいわ」と言われたら、「俺はお前が長髪姿になる映画を見たいわ!」と返したいなと。
黒人の毛髪は縮毛なので、ストレートパーマをあてない限り長髪にすることは難しく、そのことをコンプレックスとしている人も多いと聞いたことがあります。そのことを他人種が云々することはとても下品なことだと思いますので(というか他人の容姿を云々すること自体が下品だと思う)、自分からそんなことをいうことは決してありませんが、仮に自分が黒人で、ウィルのような攻撃を受けたなら、思いっきり言い返していただろうと思います。
加えてコメディアンが話を進めている時も、客席から茶々を入れまくって場内の笑いを奪う。私にはそんな笑いの才能はありませんが、ウィルほどの才人なら朝飯前なのではないでしょうか。そしてそれはコメディアンに対して最も効果的かつ痛烈な報復になっていただろうと思います。
ちょっと結論めいたことを。
売られた喧嘩は即座に対応。アンガーマネージメントくそ食らえ。
そのためにも国語力・言葉の力を鍛えるべし。
お気を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ございません。ただ、自分や家族を守るためにも、国語力は大切な力だということをご理解いただければと存じます。
そうそう、家族と国語力に関しては、こんな記事を書いたことがあります。やっぱり配偶者には国語力の高い人を選びたいですね。