国語能力のある男性と結婚するべきだという話

最近話題になっている次のような書籍があります。

藤森かよこ『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』

なんというか、身もふたもないタイトル(笑)。ただ、読んでいないので断言はできませんが、読者を虚仮にしているわけではないでしょう。

「私は『賢明で美人で裕福』だから、あななたち『馬鹿ブス貧乏』に教えてあげるわ」という高みからの提言ではなく、「自分を過大評価するなかれ、人間なら誰にでもある、『馬鹿ブス貧乏』な己の欠点を直視してまっとうに生きよ」という一女性から一女性へのメッセージの書ではないかと推察します。以前ベストセラーになった、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』に似た感じかなと(こちらは読みました)。

「馬鹿ブス貧乏」とは、ややセンセーショナルに過ぎる気はしますが、こうやって話題になっているのは、その戦略が功を奏しているのでしょう。

下記の記事を読んで、塾として強く賛同するところがあったので、ご紹介しようかと思った次第。要旨は「結婚するなら国語能力のある男性がいい」ということなります。うむ、私もそう思いますぞ!(笑)

以下、引用部分は下記記事から。赤文字着色はブログ筆者によります。

なぜ、「国語能力」のある男性と結婚した方がよいのか(藤森かよこ【馬鹿ブス貧乏】⑳)(BEST TIMES) – Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/4610327879ef2b13559f377ad2075cde48c3c6a0

ただし、あなたはブスだから、ロマンチックな恋愛の機会には恵まれない。男性に一目ぼれされてプロポーズされるということはない。昔風に言う「玉の輿(こし)」に乗るような機会もない。貧乏なのだから、パワーファミリーとパワーファミリーが結びつく閨閥(けいばつ)結婚が用意されることもない。

(中略)

結婚相手に求めるものは、人それぞれだから、あなたは、あなたの譲(ゆず)れない条件に基づいて結婚すればいい。なし崩しの行き当たりばったりの結婚でも、あなたがしたいのならば、すればいい。

(中略)

ただ、この条件についてだけは、あなたにこだわっていただきたい。それは男性の国語能力だ。

これは珍しい結婚指南ではないでしょうか。普通、女性に向けての結婚に関するアドバイスとしては、「経済力が最も大事だ」とか「金銭感覚が同レベルの人を選べ」「仕事をまじめにする人と結婚しろ」といった風に、生活力を重視する内容が多いと思います。ロマンティストの私からすると、「愛こそがすべてだ」と言って欲しいんですが、そんな言説は今どきの小学生女子からも笑われてしまうのかも……。

そこに現われ出でたる「結婚する際は男性の国語能力を重視せよ」という新説。さて、どんな理由からそういうアドバイスになるんでしょうか。続きを見てみましょう。

相手の国語能力をチェックするために、たまに故意にさりげなく執拗(しつよう)にならない程度に口論をふっかけてみるといい。

そのときに不機嫌に黙りこむ男性はアウトだ。激しい言葉であなたをはねつける男性もアウトだ。あなたの話をじっくり聴けないのも駄目だ。あなたに平静に説明できないのも駄目だ。この種の男性は、ほんとうの意味で国語能力がない。

国語能力のない男性は自分自身の心理分析もできないから、反省もできない。こういう男性は、国語能力に秀でているはずの知的職業に従事している人々の中にも多く棲息(せいそく)している。

(中略)

あなたが敢えて口論を吹っかけたときに、静かに言葉を繰り出す男性ならば有望だ。心や脳の根っこがタフだ。

国語能力がある男性は、家庭内暴力男になる可能性が非常に低い。自分の感情や行動を自己分析できる国語能力を持たない男性は、感情が激すると、暴力に訴える。あふれる感情が、脳を経過せずに、直接に身体を動かす。そんな相手に時間やエネルギーや感情を割くのは無駄なことだ。

なるほど、その通りだと私も思います。暴力を使う人間は本当に馬鹿だと思うんですよね。喧嘩や口論をするなと言っているのではありません。必要ならばすればいい。ただ、人間なんだから言葉を操って喧嘩・自己主張をしろよ、暴力で自己主張するなんて動物と同レベルじゃないかと思うわけです。

文明社会・法治国家では、よほどの緊急事態でもない限り、国語能力・言語能力があれば暴力みたいに低級な力に頼る必要はありません。むしろ、暴力に訴えた時点で「負け」確定です。

冷静に相手の意見・主張に耳を傾け、頭を使って考え、できるだけ相手に分かりやすく自分の意見を主張する。筆者の言う通り、そっちの方が「暴力男」よりよほど「タフな男」だと私は思います。男性が男性に暴力を振るうことも十分に恥ずかしいことですが、ましてや男性が女性に暴力を振るうなんて野蛮なことは、最低最悪な行為だと思います。

結婚生活には、いろいろな感情の行き違いや誤解が生じる。その都度(つど)、それらを話し合いで解決しながら、相互理解を深める。相手への態度を調節したりできるようになる。

したがって、葛藤や摩擦を軽減してゆくための話し合いができない国語能力の貧しい男性が夫では、あなたの結婚生活は無駄に無意味にストレスが多いものとなる。

うんうん、その通りだと思います。私も結婚してから20年以上を閲しておりますので、そのあたりはよく分かります。夫も妻もお互い人間なんですから、「感情の行き違いや誤解」は必ず生じます。生じない方がおかしい。でも、お互いに真剣に話しあえば、ちゃんと解決は見えてくるはず。「なるほど、そう考えて言ってくれていたのか」とか「こっちも深く考えずに言ってしまっていたな」とか、色々なことが明らかになってきて、お互いに納得に至ることができるわけですね。多分。おそらく。きっと(笑)。

で、次の部分もいいんですよ。

言うまでもなく、あなた自身も話し合いが冷静にできる国語能力を身につけなければならない。女だから、馬鹿だから、感情に任せて物を言っていいということはない。言っていいことと悪いことは、口論の最中でも脳の中で選別しなければいけない。国語能力の身につけ方に関しては、あとで話します。

そうですね。相手の男性に求めるだけではだめでしょう。女性自身もやはり国語能力を高めていかないと。それこそが本当の平等でしょう。男も女もみんな国語能力・言語操作能力を高めないとね。

そもそも、ふたりの人間が同じ空間に共生するのが結婚だから、ふたりの言葉の交換が快適で多彩で豊かで滑(なめ)らかであれば、その結婚はかなり成功していると言える。

会話は、どこでもいつでもできる安上がりな娯楽だ。あなたとの会話で話が続かない男性は、真に国語能力のない男性は、結婚相手としては避けるべきだと私は思う。

私事になりますが、妻と結婚して、いや、結婚させていただき申し上げましまして(敬語おかしい)、ありがたいと思っているのは、日々の会話=言葉の交換が楽しい点です。もちろん、仕事の話も多いんですが、どうでもいい話をああでもないこうでもないと話すのはやっぱり日々の彩りになっている気がします。

ということで、当塾も婚活ビジネス等に参入しようかと。「国語能力を高めて結婚しよう講座」「熟年危機を乗り越えろ!夫婦円満国語力講座」とか。いや、冗談が案外本当になったりして……(笑)。