日々報じられるロシアとウクライナの情勢ですが、悲劇的な状況はまだ終わりが見えません。今に始まったことではありませんが、国連安全保障理事会の恒常的な機能不全や国際法の無力さを見せつけられると、何だか切ない気持ちになります。
“Might is right.” 「力は正義なり。」嫌な言葉ですが、ロシアのプーチン大統領はこの言葉を地で歩んできた男だろうと思います。一国の独裁的首領になるような人間ですから、頭脳も度胸も悪運も人並み外れたものがあったんでしょう。ただ、それが国民の幸福や周辺諸国民の安全につながるとは限らない。
以前も書いたんですが、政治家・リーダーは決して天才的な人間でなくてよい、というか、政治家・リーダーは天才的な人間に向かないだろうと思います。(広い意味での)利害関係を効率的に調整できれば事足りる。それ以上のものを求めるのはとても危険な考えでしょう。
そして出来得る限り、リーダーの座に一人の者を長い間居座らせないのが好ましい。どんなに良好な政治運営がなされていても。どんなに国民からの支持率が高くても。権力を長期に渡って保持すれば、必然的に権力が集中してしまう。
近代立憲主義は権力集中とその濫用を回避することに主眼がありますが、これは人間が進化してゆく途中で得た叡智の中でも、かなり高級なものだと思います。その精神からすれば、一定期間の経過で「機械的に」権力者をその座から下ろすというシステムはかなり魅力的なんですよね。もちろん、そんなシステムを統治者は作りたがりませんけれど。
まして、人間が段々と年老いて、発想の柔軟性を失い、身体面でも病気に苦しむことが多くなる存在であってみれば、「政治的指導者はどんなに立派な人でも最長3〜4年程度で自動的にお払い箱システム」というのは、それなりに合理性があるんじゃないでしょうか。
もちろん、現行システムがそうなっているわけではないので、机上の空論ではありますが、プーチン大統領がこれほどまでに長期に渡って権力を一手に掌握していなければ、ウクライナ・ロシア両国民の今回の悲劇は避け得ていただろうと思います(代わりに今以上に各地で小規模な民族紛争が頻発して、不幸の総量は変わらなかったかもしれないけれど)。
政治学的な話はさておき、今回はプーチン大統領の健康状態もよく取り沙汰されています。あんまりいい話は聞こえてきません。実は、強権的リーダーの病気は、国民の不幸と大きな関係があります。これは実際の歴史が教えるところでして、そのあたりを活写した著作があります。
この『小長谷正明 / ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 神経内科からみた20世紀 (中公新書)』については、下記ブログ記事にて取り上げましたが、今こそ注目されるべき書だと思います。
今手元にこの本がないんで文章を引用できませんが、ここで取り上げられているケースと、今回のプーチン大統領のケースはそっくりです。そして、今までのケースでは、残念ながら多大な人的犠牲が支払われました。今回も同様の事態に陥る(陥っている)ことは間違いなかろうと思います。
悔しいけれど、人間は二十一世紀になってもまだこうした事態にうまく対応できていません。何時になったら私達はもう少し高級な動物になれるんでしょうかね。