物に魂あり- 伊坂幸太郎『ガソリン生活』

久々の長期休暇ということで、あれこれと溜まっていた用事をこなしています。その合間に好きな音楽を聴きながらゆっくり本を読む時間も取れていて、もう幸せ一杯気分です。そういう時間って、なかなか普段の生活の中では取れないんですよね。

授業、授業準備、雑用、教室整備、保護者様とのお話、お問合せへの応対、メール返信などが散発的に入りますので、なかなか連続した空き時間が捻出できないんですが、やっぱり3時間ぶっ続けで一気に小説を読むのと、15分程度の細切れ時間×12回でちょこちょこ小説を読むのでは、「読書体験」として大きく違うと思うんですよね。もちろん、前者の方が質は高い。

そういう意味で、昨日は多いに満足しました。一昨日到着したばかりの、伊坂幸太郎『ガソリン生活』を一気読みできたからです。

ほとんど読んだことのなかった伊坂幸太郎の本を読もうと思ったのは、ふとしたきっかけからです。ネット上でどなたかが「この小説を読むと、もう今乗っている車やバイクを手放すことができなくなる」と書いてらっしゃったのを見たんですよね。

私の経験上、心底気に入っていたバイク(購入したバイクはたいていそうなるんですが)を手放す時って、なぜか不思議なことが起きます。バイクが私との別れを惜しんでいるとしか思えないようなことが。

2年ほど乗ったバイクを手放すことになり、新車と交換すべくバイク店に向かっていた際のことです。このバイク、かなりクセのある欧州車だったんですが、乗るのが本当に楽しくて所有期間の割には走行距離が随分伸びたマシンでした。

高揚する気持ちの一方で、少し感傷的な思いに浸りながら(この感覚、乗物が好きな人には御理解いただけるかと)、家から5キロメートル程離れたところにある天王寺バイパス(という高架道路があるのです)を走行していた時のこと。クラッチを握った際に、いきなりエンジンがストール(停止)したんですよね。

前日のお別れプチツーリングの際もマシンは好調そのものでしたし、そもそも腕利きのメカニックさんに整備は任せていたので、そんなことが起きるはずがないんですよね。プラグもエンジンオイルも交換してからそんなに経過していませんし、家から5キロメートルも走れば、暖機が不十分だということもありえません。もちろん、私の運転も普段と何も変わりません。

それなりの速度ではありましたが、走行しながらセルを回せばエンジンは即座に再起動。今までこんなエンジンストールなんて一度もしたことがないのに……。

晴れ渡る空、街を遠くまで見渡せる高架道路、走行車輌が周りに一台もいないタイミング。ああ、そうか!お別れの挨拶なんだ!最後の最後にわがままを言ってるんだ!

私もセンチメンタルな気分になって、「今までありがとうな、お前のことをずっと忘れないよ。これからも事故無しで元気に過ごしなよ」と心の中で呟いたことを覚えています。


なんか馬鹿な話をしているのは重々承知なんですが、何となく心のどこかで「物に魂が宿る」ということを信じたい気持ちもあるんですよね。亡くなった人の持ち物を「遺品」として大切にする風習は、洋の東西を問わず見られるものだと思いますが、それも同じ発想ではないのかなと。

このあたり、バイクや車・コンピュータなど機械系が好きな人には、結構賛同してもらえるのではないかという気もします。コンピュータをそろそろ新調しようかとネットで調査を始めると、ハードディスクの調子が悪くなったり、キーボードが不調を起こしたりするということがよくありませんか?私はよくあります(笑)。

もし、そうした「物中在魂」という考えにご賛同いただけるなら、伊坂幸太郎『ガソリン生活』は最高の作品だと思います(特に車好きな方)。

緑のデミオがこの物語の中心人物(?)。全ての自動車には意思があり、他車とコミュニケーションを取りながら暮らしています。所有者家族を愛し、穏やかな日々を送る自動車たちの交わす言葉は、とても上品。驚くべき話を聞かされると、どの車も「ワイパー動く!」なんて言うんですが、それは私達人間で言うところの「寝耳に水」ですね(笑)。

読み進めてゆくと、個人的に驚くべき設定があって、まさに何か見えない力に「早く読みなさい」と命じられたような気がしました。

主人公(デミオ)のお隣に住む車(古いカローラGT)の所有者が、フランク・ザッパの大ファンで、ナンバープレートの番号を「38(ザッパ)」にしているなんて!しかも、ことあるごとにこの車がザッパの話をするという、もう大感激の設定。そんなの知ってたら速攻で読んでたのに〜。ちなみに私はフランク・ザッパの大大大ファンです。

まあ、でもこうやってこの物語に知りあえてゆっくり楽しめたのは、幸せでした。これも何かの力が働いた結果なのかなと半ば真剣に思う年末。またこの話はいずれ。