小学生の読解力育成と植物育成は似ている

最近、とある小学生向けの国語テキストを見ていて、大いに納得する話を発見しました。著名な科学者である中村桂子氏による文章です。

最近は脳の研究が進み、記憶にかかわる細胞や遺伝子がわかったり、さまざまな機械で人間の脳のはたらきを測定できるようになりました。研究者のなかには、脳研究でわかったことを教育に生かそうと考える人が出はじめていますが、これまた、遺伝子と同じで、 機械論的に見るのは危険です。

私は、生きものへの接し方のいちばんよい方法は、科学でわかっていることを充分理解したうえで、目の前にいる生きもの(人間も含めて)の全体と接し、相手が出している信号をできるだけたくさん受け止める努力をすることだと思います。これをいちばん強く感じるのが植物と接するときです。

(中略)

育てるのが上手な友人の様子を見ていると、花の状態のこまかいところを見るのが上手です。そして、それに対応する知識をもっている。そのうえで植物全体を眺め、ちょんと枝の先をつんだり、少し肥料をやったりしています。生きものについての科学的知識は、知識があるからそれですべてを動かそうというのでなく、相手の信号をできるだけ多く受け止めた後で、それに対応するために使うものだと思います。知識で動かそうとするのは、生きものを大切にしたことにならないでしょう。

(中村桂子「『生きもの』感覚で生きる」より引用)(文章着色はブログ作成者による)

塾で小学生を指導するのと、植物を育てるのとはよく似ているなと思うことが多いんですよね。上記の文章はそのあたりの機微を見事にうがってくれている気がします。


完全少人数制宮田塾の方では、小学1年生から6年生を見させてもらっていますが、生徒の学力やニーズは本当に様々です。将来的に中学受験を考えているので、学年内容よりも少しハイレベルな勉強をしておきたい生徒がいれば、学校の成績がやや芳しくなくて、学年内容よりも少し前の勉強をする生徒さんもいます。

生徒側の学力や姿勢に関して「これだけが正解だ」と唯一のあり方を押し付ける気持ちは、私達にはさらさらありません。保護者様や生徒本人とよく話しあって、どうありたいのか・どうあるべきなのかという像をすり合わせてから、指導に入らせてもらっています。

特に文章読解指導・読解力養成については、勘違いされてしまっている節もあるので、少し説明させていただきましょう。

まず前提として、「万人に有効な文章読解指導」というのは存在しません。それまでの読書体験や、獲得している言語能力の程度によって、その指導内容は大きく変わります。

加えて、具体的な文章から離れた指導は、特に小学生にはほとんど効力を持ちません。小学生はまだまだ人生経験・社会経験の乏しい存在。(学力の高低にかかわらず)抽象内容をいくら指導しても、それを自らの経験によって具体化することは極めて困難です。

また、当方からあれこれと文章内容を懇切丁寧に指導してしまうと、「私達の話から」問題を解いてしまうことになります。それは「聴解力」とでも言うべきものであって(もちろんそれはそれで大切な力ですが)、「読解力」つまり「自分で文章を読んで理解する力」とは異なるものです。

そりゃ私たちも、「文章読解の秘伝」なるものを目の覚めるような授業で伝えて、生徒の読解力を永続的に爆上がりさせることができれば、大いにありがたいんですよ。国語系YouTuberになって豪邸でも買います(笑)。でも、そんな夢のような話はありません。残念ながら。


まず何よりも、定期的に地道に文章に取り組んでもらうことが必要です。そして、それを私達はじっと観察します。もちろん、ジロジロ見られるのは生徒にとって負担でしょうから(少なくとも私は先生にじっと見られるのが苦手でした)、さりげなくですけれど……。

その段階で、結構な情報は読み取れます。あんまり読み込まずに適当に書き写し始めたなとか、よく集中して読んでいるし自分でマークしているところも適切だなとか。

その後で、答案を見せてもらうわけですが、記述部分が真っ白の場合もあれば、まったくお門違いな記述が書かれていることもあります。もちろん、完璧な答案が書かれていることも。それらの情報を総合して、ようやくちゃんとした「指導」につながります。

そんなわけで、どの生徒にも共通の指導が通用するなんてことはあり得ません。どうしても、一人一人説明や指導内容が異なってくることになります。

完全少人数制宮田塾の方で、体験授業においでになる方から時々「プリントをやらせるだけなんですか?」と尋ねられることがあるんですが、確かに表面的にはそう見えてしまうのかもしれません。ただ、私や副代表の方としては、上記のようにそれとはかなり異なることをやっているつもりでおりまして、御自宅で生徒本人だけ、または、保護者様と生徒だけで勉強するよりも、はるかに効率的なのではないかと考えています。

実際、長らく遠方からお通いくださった方から、「この塾では自宅でやるより10倍程度勉強が進むので、通塾時間を考えても十分価値がある」とのお言葉をいただいたことがあります。まあ10倍は過分な褒め言葉だと思いますが(笑)、合理的に観察・効率的に指導、というのは私たちが普段から心がけていることでありまして、大いに嬉しかった覚えがあります。


最初の中村桂子氏の話に戻りますが、「全体と接し、相手が出している信号をできるだけたくさん受け止める努力」というのは、本当に生徒さんの指導と共通しているなと。

「そのうえで植物全体を眺め、ちょんと枝の先をつんだり、少し肥料をやったりしています」という部分も象徴的です。「大きく枝を切ったり、大量の肥料をやったり」しているわけではない。これまた地道な指導と共通性の高い話で、大いにうなずかされます。

こんな話を書いていると、なんだか当塾が植物園みたいに思えてきました。うん、確かに動物園よりは植物園の方がイメージには近いかもしれませんね。