善意や良心だけに頼っているシステムは極めて脆弱だと思う

ご存知の通り、大阪では新型コロナウイルスが再び勢いを盛り返しており、緊急事態宣言発令前夜、という状況になっています。

緊急事態宣言が発令された場合、小学校・中学校などの運営に何らかの制約がかかる可能性もあり、当塾としては事態の推移を見守っているところです。昨年の発令時のように、当塾の運営を一時的に変更するような事態に至った場合は、また各ご家庭にご連絡を差し上げるとともに、本ブログでもお伝えしたいと存じます。


個人的には政治にほとんど何も期待しておらず、唯一望んでいるのは、「政治が生活や仕事の邪魔をしないこと」なんですよね。政治的には超リアリストなのです(笑)。今回のコロナ禍においても、いつものごとく唖然とするような話が次々にわき出てきて、人間というものの本質をしみじみ考えさせられます。

よく人にも話すんですが、「善意や良心だけに頼っているシステムは極めて脆弱である」というのは、世の東西を問わぬ普遍的な真実だと思うんですよね。

もちろん、善意や良心は人間の持つ素晴らしい性質です。私もそれらをとても美しいことだと思っています。できれば善意と良心だけで成り立つ世界に暮らしたいとさえ思います(例えば『アンパンマン』で描かれるような世界)。

しかし、実際はそれだけで社会が成立することはありませんよね。誰だって食べてゆかねばなりません。そして責任ある立場なら食べさせてゆかねばなりません。利益の得られないところに継続的に自分の力を注ぎ込んで日夜真剣に働くなんてことは不可能です。

もちろん短期間ならそれも可能でしょう。しかし、責任をもって何らかの事業を継続させるならば、「適切な経済的対価」がどうしても介在する必要があります。そうでなければ、事業を継続して他者のために働くことは難しい。

例えば、塾の世界でもそれに関するケースが時々見られます。「無料塾」というシステムです。もちろん、その理想は素晴らしいと思います。無償で塾のサービスが受けられるなら、教育格差も幾分は解消されるでしょうし。しかし、「無料塾」が長期存続して、しかもしっかりと効果をあげ続けるというケースは寡聞にして知りません。

思いつきで半年ほどやってみて放り出したり、ひどいケースになると売名行為的な事業だったり……。そんな「塾」を信じて、一生懸命頑張ろうとしていた生徒さんや保護者さんがはしごを外された時の気持ちを考えると、ちょっと許せない気持ちになります。

どんな事業でもやってみればそうだと思いますが、多くの労力と時間を注いでようやく形になるものですよね。であってみれば、適切な対価がどうしても必要になります。それがあって初めて、多くの労力と時間を事業に費やすことが可能になるからです。別の言い方をすれば、適切な対価がなければ、事業にかける時間・労力を削減して、他で稼がなくてはならなくなってしまいます。

個人的には、しっかりと利益を出している店舗や事業の方が、採算無視の店舗や事業より、よほど「良心的」だと思っているぐらいです。お金の対価として良い品物やサービスを継続的に享受できる方が、それらを手に入れられなくなるより何倍もいい。

「善意や良心だけに頼っているシステムは極めて脆弱である」というのは、そんな考えに基づいています。まあ、大人なら誰でも知っている話ですけれど……。


で、そうした観点から最近のコロナ対策を眺めてみると、もう絶対といっていいほど上手くいかないであろうことが予想されますよね。若者からすれば、新型コロナウイルス感染症は、ごく稀に重症化することがあるとはいえ、ほとんど無視できるレベルの感染症。ルールを守った若者に対して直接的な経済的利益がもたらされるわけでもなく、また、放埒な行為に対する強いサンクションが設けられているわけでもない。

とすれば、若い人達の行動を規律するルールは、「老齢者や基礎疾患を有する人への思いやり」、言い換えれば「善意・良心・道徳心」だけになります。

そうした「善意・良心」に人の行動を委ねて社会システムがきちんと動くと思うのは、やはり人間理解として薄っぺらい気がします。もちろん、善意・良心・公徳心にしたがって皆が行動してくれるのが一番いいに決まっているんですよ。それには私も同意します。しかし、そんな人間が多数派であるとは思わない方がいい。

そもそも、多くの若者には学ばねばならないこと・遊びたいことが山ほどあって、家でおとなしくしていることは苦痛極まりないわけです。それを圧して「社会への奉仕心」にしたがって行動しろと言うのは、50代の人間からすると申し訳なく、また、無駄なことであるという気がしてなりません。


そんなことを考えていると、政治家のメッセージが空虚に聞こえて仕方がないんですが、今更どうしようもありません。私どもとしては、できるだけ健康を維持し、あとは腹を括って生徒さんのためにできることを頑張っていくしかないですね。