心のエネルギーは出し惜しみ不要

夏真っ盛り。当塾も朝から授業や雑務に追い回されておりますが、塾生が成績を上げてくれるよう頑張る日々は、充実の日々でもあります。

さて、本日受験国語の授業で取り上げた某中学の入試問題は、河合隼雄先生の『こころの処方箋』を題材としていました。ご存知の方も多いとは思いますが、河合先生は心理学の大家。京大名誉教授で文化庁長官も務めていらっしゃいました。

肩書きだけ見ると、なんだかいかめしい感じの方を想像しますが、実像はその正反対。何時もにこやかで柔らかい関西弁を使うホンワカした感じの方です。お書きになった本もどれも素晴らしいんですよ。私が敬愛する学者先生のお一人です。

生前の河合先生の謦咳に触れることはかないませんでしたが、大学生だった頃、河合先生のお弟子さんの大学院生が、心理学に関するある調査をなさっていて、友人づてに協力の依頼を受けたことがあります。河合先生のお弟子さんの調査やったら喜んで協力します、というか、むしろやらせて(笑)。

私が彼女(何度も書きますが今の妻です)や父親にも依頼して、いくつかのアンケートを集めたんですが、その返礼として、各人の性格・偏向というようなものを示すデータを下さったんですよね。これがね、もうね、当たっているというより、私の性格・本質をパーフェクトに表していて驚愕に値するものだったんです。

恥部をさらすようなので、その内容までは書きませんが(笑)、自分でもあまり意識してこなかった心の奥底にあるものが見事に言語化されていたと言えばいいでしょうか。もちろん、妻や父親の性格・偏向も見事に表現されていました。全員大いに大いに納得した次第。

お弟子さんの院生でこの様子なんですから、大師匠の河合先生はどれだけすごい心理学者なんだと尊敬の念を新たにして、お書きになったものをいくつか拝読しました。言うまでもなく、どれも素晴らしい著作でした。


って、前置きが長いですね。本題に入ります。

ここからは、上述の『こころの処方箋』を元にして話を進めます。

人間には身体のエネルギーだけでなく、心のエネルギーも存在すると考えるとよい。例えば、一人でぼんやり座っているのと、お客さんの前に座っているのとでは、疲れ方が違いますよね。身体的な動きはそんなに違わないはずなので、心のエネルギーを利用して疲れていると思われる。

とすると、心のエネルギーも節約した方がよいように思える。人に対しては無愛想に。人に対しては気をつかわないように。役所の窓口にいますよね、そんな人。でも、そういう人に限って疲れた顔をしているのが、なかなか面白いところ。

これとは逆に、エネルギーがあり余っているのか、と思う人もある。仕事に熱心なだけではなく、趣味においても大いに活躍している。他人に会うときも、いつも元気そうだし、いろいろと心づかいをしてくれる。それでいて、それほど疲れているようではない。むしろ、人よりは元気そうである。

自分自身の問題として考えてみよう。例えば、友人に誘われてテニスを始める。これがなかなか面白くて、だんだん熱心にテニスの練習に打ち込むようになる。時には、以前よりも一時間早起きして練習することも。こういう時、以前より仕事の能率が悪くなっているかというと、案外そうでもない。むしろ仕事に意欲的になっていたりする。

エネルギーの消耗を片方で押さえると、片方で多くなるというような単純計算が成立しないことは了解されるであろう。片方でエネルギーを費やすことが、かえって他の方に用いられるエネルギーの量も増加させる、というようなことさえある。

そういう意味で、人間の心のエネルギーは「鉱脈」のなかに埋もれているようなものだと理解するとよい。うまく新しい「鉱脈」を掘り当てると、いままでとは異なるエネルギーが供給されるようになる。

自分のなかの新しい鉱脈をうまくほり当ててゆくと、人よりは相当に多く動いていても、それほど疲れるものではない。それに、心のエネルギーはうまく流れると効率のいいものなのである。他人に対しても、心のエネルギーを節約しようとするよりも、むしろ、上手に流してゆこうとする方が効率もよいし、そのことを通じて新しい鉱脈の発見に至ることもある。心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多いものである。

いかがでしょうか。私などは、心から河合先生のお考えに同意します。同じ生きるなら楽しく生きたいですよね。それなら心のエネルギーは出し惜しみしない方がいいよ、という先生からのアドバイス。とても役立つ教えだと思います。


ちなみに下掲の写真は、「面白いところ」に傍線が引かれていて、何が面白いのかを説明せよという問題についての模範解答(下記文章は私の方でかなり改変しています)。

人間には身体のエネルギーだけでなく、心のエネルギーも存在する。確かに、心のエネルギーも使うと疲れるものだ。とすると、心のエネルギーも節約した方がよいように思える。人に対しては無愛想に。人に対しては気をつかわないように。役所の窓口にいますよね、そんな人。でも、そういう人に限って疲れた顔をしているのが、なかなか「面白いところ」。

疲れた顔をしている点は絶対に書かないとならない要素ですが(傍線の直前にある主語ですからね)、それだけだと、なぜ面白いのかが理解できないですよね。「無愛想にしているくせに」「人に対して気をつかわないくせに」という点も書いて初めて「面白み」になるわけです。

といって、字数制限を考えると、それらの具体例を全部書くことはできない。そうか、じゃあ、具体例を一般化・抽象化するわけだな、それに見合う表現は文章中にないかな、なかったら自分で一般化した表現を考えてみようかな。

私の方では、そんな手順を学んでもらう問題と捉えて指導しましたが、この板書はそのための一コマです。

いい国語問題って、こんな風に題材文章選択のセンスがよく、出題意図も明確な問題が多いんですよね。その点、大手塾の模試は……って、あんまりネガティブなことを言うと河合先生にやんわり注意されそうですね。

心のエネルギーを出し惜しみせず、この夏も乗り切りたいと思います。

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