助動詞「ごとし」の接続について考える – 『龍が如く』は正しいのか

ちょっとメモ書き程度に残しておこうと思う話。

街でよく見かける、あるゲームのタイトルが、前々から気になっていました。

『龍が如く』というゲームです。ベストセラーなのか、電器店の店頭なんかで見かける機会が多いんですよね。ゲームには興味がないので、内容はどうでもいいんですが、どうも落ち着きの悪いタイトルに思えてならない。

文法的に考えれば、「体言(龍)」と「助動詞ごとし」を結ぶのは、助詞「の」であるべきではないのか。つまり、『龍の如く』の方が正しい、もしくは、少なくとも自然なのではないか。

まあ、ゲームのタイトルに目くじらを立てても仕方がないか、と思って流していたんですが、先日、授業で古文の助動詞「ごとし」を扱った際、接続の説明をしていて、ふとその件を思い出しました。

というのも、その日使っていたテキストには、「助動詞ごとし」の接続が、

「体言・活用語の連体形」+「が・の」→「ごとし」

と、ややぼやかした表現で説明されていたんですよね。むむむ?今まで読んできた文法書や古文を思い出すに、

「体言」+「の」→「ごとし」
「活用語の連体形」+「が」→「ごとし」

というのが常識的な接続のような気がするんだけどな……。

「動かざること山ごとし」(武田信玄)
「翔ぶ如く」(司馬遼太郎の歴史小説)

授業では、そんな感じのメジャーな例文をいつも挙げていたんですが、「体言」+「が」→「ごとし」も許容されるのか気になって仕方がない。職業病ですね(笑)。

許容されるなら、『龍が如く』は文法的にも正しいわけですしね。

ここでまた心強いコンサルタント『実例詳解古典文法総覧』に相談です。索引を見ると、「ごとし」だけで、3ページが割かれているようです。ワクワクしながら該当ページを見ると、衝撃の事実が!次回の放送をお楽しみに……いやいや、ちゃんと書いておきましょう。

「ごとし」は助動詞とされるが、助動詞が助詞「が」「の」を受けることはありえない。

(『実例詳解古典文法総覧』P85より引用)

ふむふむ、「ごとし」はそもそも助動詞ではないという学説なんだ!これは説得力があります。

というのも、この「ごとし」は、接続を初めとして、助動詞としてはかなり変則的なところが多いイメージがあるんです。

例えば、同書の用例(「なり」に続く形)を引用してみると、

飲食例のごとくなり(今昔6-13)
赤子のごとしなり(今昔6-15)
清涼のごときなり(今昔6-18)

(『実例詳解古典文法総覧』P86より引用)

断定の助動詞「なり」には連体形が接続するという規則があるんですが、全く無視ですよね。どれが連体形やねんと(笑)。

それに加えて、「ごと」という形式がそこら中の古文で見られます(『源氏物語』には37例見られるとのこと)。「助動詞の語幹」という説明ができなくもないけれど、かなり苦しいよなあ。

それだったら、もう助動詞と考えることは放棄して、「『ごとし』は『ごと』という形式的な体言に接尾語『し』が付いた表現」と考えたほうが、理屈的にはいいなと私も思うようになりました。

とすると、『龍が如く』という表現は、文法的にはセーフということになりそうですね……。うむむ、何かなあ(負けずぎらい)。


いやいや、文法探偵団はこれぐらいではへこたれません。

『実例詳解古典文法総覧』に挙げられている20強の用例を全部見てみます。やはり、「体言」+「が」→「ごとし」の例はありません。

(ちなみに「代名詞」+「が」→「ごとし」の接続例は挙げられています。「汝がごとく」みたいな例ですね。ただ、代名詞は「龍」のような純粋な普通名詞ではありませんので、除外します。「代名詞」+「が」→「ごとし」の接続例は、普通によく見る表現です。)

『日本国語大辞典』の用例も漁ってみましょう。こちらにも、20強の用例が挙げられているんですが、「体言」+「が」→「ごとし」の例はありません。

結論。

純粋な理屈の上では、「体言(普通名詞)」+「が」→「ごとし」という接続は成り立ち得そうだが、実際の古文の用例ではあまり見られない。

ということで、『龍が如く』は完全アウト、とまではいえないものの、かなり不自然な表現ということになりそうです。

一応、「当塾の勝ち、ゲーム会社の負け」ということにしておきましょう。別に文法勝負なんかしてね〜よ!って怒られそうですけどね(笑)。


ちなみに、大学受験レベルでは、上記のような考察や知識は全く不要です。というか、有害です。素直に、

「体言」+「の」→「ごとし」
「活用語の連体形」+「が」→「ごとし」

とだけ覚えておきましょう。