個人的には政治話はどうでもいいので、国語的な問題として書いてみます。
昨日、何気なくTVを見ていると、国会中継が放映されていました。そういえば通常国会の開会時期です。別段興味はないんですが、チラチラ見ていると、民進党の代表が登壇するところでした。今の代表ってこんな議員だったんだ、知らなかった……。
で、一言目が「『民主党』の大塚でございます」。いきなり党名を間違います。ガクッ。もちろんヤジが飛び交ったんですが、これ、過失なのか故意なのか。
今調べてみると、「民主党」から「民進党」へと改称されたのは、2016年3月。これぐらいの地位にある議員なら、選挙応援やら何やらで、それこそ何千回何万回と党名を口にしてきたはずで、こんな大事な舞台で間違うことは考えにくいような。
私は彼の落ち着き具合から「故意」と判定しましたが、事実は不明。「故意」だとしても、一国民からすると、趣旨はよく分かりません。「本当は『民主党』として覚えといて欲しいんだよね〜」ということなんでしょうか。
で、それはどうでもいいんですが(どうでもいいことを長々と済みません)、代表は改憲問題に関する質問を、安倍総理に投げかけます。
調べてみると、民進党ウェブサイトに代表質問がPDFとして置かれていたので(https://www.minshin.or.jp/download/37218.pdf)、そこから引用しながら話を進めます。
総理は施政方針演説の最後において、憲法について「議論を深め、前に進めていくことを期待しています」と述べました。一月四日の年頭記者会見においても「憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示し、議論を一層深めていく」と発言されました。
「憲法のあるべき姿」とは、どういう意味でしょうか。また、それは誰にとっての「あるべき姿」なのでしょうか。総理に伺います。
そりゃ、日本国憲法は「国民主権」というシステムを採用しているんだから、総理としても、「国民の皆様にとっての」という形式的返答をするに決まってるよな、と思いながら聞いていたんですが、次の発言に驚きました。
「あるべき姿」すなわち「べき」という言葉は、そのことの正当性を示す接尾語です。
えええ?「べき」が接尾語?初めて聞いたよ、そんな説。
「べき」という語が正当性を示すという点については、間違いはありませんが、「べき」は助動詞「べし」の連体形。つまり、助動詞であって、接尾語とは言い難い。
接尾語とは、大辞林によると次の通り。
接辞の一類。常に他の語のあとに付いて用いられる語構成要素。「神さま」「子供たち」「春めく」「寒さ」などの「さま」「たち」「めく」「さ」の類。「さま」「たち」などのように意味を添加するだけのものと,「めく」「さ」などのように文法的機能を果たすものとがある。接尾辞。
私の方からもう少し補足しておくと、それだけでは単語になりえない、「語の要素」とでもいうべきものです。
「べし」は立派な単語ですから、接尾語とは言えないはず。「あるべき」という語を一単語(連体詞)と捉えるにしても、やっぱり「べき」を接尾語と考えるのはいかにも苦しい。
でも、仮にも野党第一党の代表が通常国会冒頭で言うんだから、助動詞を接尾語とする学説でもあるのかと気になって仕方がなくなりました。私が議員なら、もうこの問題で何時間も討論したい。国民からは税金泥棒と呼ばれること必定ですね(笑)。
出先だったので、家に帰って即相談です。相談の相手は、以前このブログでも取り上げた、『実例詳解古典文法総覧』。文法を考える時は古典文法から考えることが大切です。というか、私が文法を考える時は、いつでも古典文法で考えてから現代口語に翻訳しています。上記の書は最高の相談相手。
さて、ここからはかなりマニアックなので、ご興味のある方向けです。
まず、接尾語(接尾辞)の定義から。
「子ども」「人ども」「船ども」の「ども」は複数を表すが、単独で用いることはない。このように、常に他の語の後に付いて用いられる語構成要素を接尾辞という。(中略) 接頭辞・接尾辞をあわせて接辞という。接辞は単語を構成する要素で、単語ではない。
(小田勝『実例詳解古典文法総覧』P17)
だよなあ。「べし」は紛う方なき「単語」です。「べし」が「単語」であることに疑いを持つ人は皆無でしょう。接尾語の定義からして、「べし=接尾語」説はやはり無理があるなあ。
ただ、述語の構造を詳説する章に、こんな記述もありました。
「動詞だけにつき、付いた動詞の格支配を変える助動詞」についての説明なんですが、引用します。
Aの助動詞(ブログ執筆者注:「動詞だけにつき、付いた動詞の格支配を変える助動詞」を指す)には、他の助動詞にはない次のような特徴がある。
1.付いた動詞の格支配を変更する(したがって別の動詞を作る)。
2.補助動詞に先行する(具体例略)。
3.複合語の前項になる(具体例略)。
4.動詞と一体となって連用形転成名詞となる(具体例略)。
5.係助詞が述語内に生起する(具体例略)。
こうした点から、Aの助動詞を、接尾辞とする説がある(時枝誠記1950)。
(小田勝『実例詳解古典文法総覧』P67-68)
おお、ある種の助動詞を接尾語とする説もないではないんですね。しかも、時枝誠記という斯界の権威の唱えた説です。一つ賢くなりました。
ただ、「べし」はそもそも「動詞だけにつき、付いた動詞の格支配を変える助動詞」ではありませんし、上記の性質1〜5を全く満たしません。
ということで、「べし=接尾語」説は誤りとすべきでしょう。
……って、こんなことをウダウダと考えている暇な人間は、私だけでしょうね。仕事に戻るとしましょう(笑)。