坪田譲治『一匹の鮒』洛星中学の入試問題から

先日、授業準備のために、洛星中学の過去入試問題をチェックしていました。この中学の入試問題は、かなりの長さの小説(6000文字前後)を読ませた上で、記号選択問題を数題、80文字〜140文字程度の記述問題を数題解かせる、というスタイルになっています。

私から見ると、大変良質な問題でして、問題作成者に敬意を表したいところなんですが、小学生にとってはかなりハードなものであろうと思います。

例えば、2014年前期の問題では、坪田譲治の『一匹の鮒』という小説が取り上げられています。私は不勉強でこの小説のことを知らなかったんですが、ある意味、すごく難解な小説なんですよね。概要はこんなところ。

昔の話。主人公の久兵衛は7歳の一人息子と暮らしていたが、ふとしたきっかけで、息子が行方不明となってしまう。その後、夢に現れる息子は、荒くれ男や大勢の子どもにいじめられている。久兵衛は息子を捜索するための旅に出る。そして3年が経過した。

ここ以降が出題されている部分なんですが、久兵衛の心はずいぶんと落ち着いたものになっています。というのも、彼が見る夢の中の息子は、どこともしれぬ海辺で落ち着いた生活を始めたからです。

ある日、久兵衛は夢の中で繰りかえし見る風景と全く同じ風景に出会います。ここだ!ここにいたのか、息子よ!そう信じきって疑わぬ久兵衛。村人に感謝の念すら覚える久兵衛。

読者である私としては、「良かったなあ、ここから感動の再会のシーンなんだろうな」と思い、受験指導者としても、「ここから親子の再開シーンへと展開して、湧き上がるような両者の感情を読み取らせようという問題なんだな、奔流のような感情を整理して記述させる問題は実力差が出そうだな」なんて思いながら読むわけです。

が、しかし。

息子はどこにも見当たりません。村の人に尋ねても気の毒がられるばかり。何なんですか、この悲しいストーリー。子どもがいる人なら、まず間違いなく憂鬱になる展開です。

茫然たる思いの久兵衛は、川べりで質素な弁当をつかいます。その時、一匹の小鮒が彼の視野に入ります。久兵衛曰く、「三年も旅をして、艱難苦労をなめた末が、この小さなふな一ぴきにあうためであったのであろうか。長旅路の山坂を、小ぶなを目当てに歩いてきたというのか。」

もし自分がこの立場に置かれたら、もう切なくて切なくて涙が抑えられないだろうと思います。久兵衛は絶望のあまり、逆に笑うんですけどね。

しかし、ここまでは前置き。この小説の主題はここ以降にあります。もちろん、入試問題の方も、ここ以降に重きが置かれています。

少し引用します。

「けれどもこんどは、久兵衛の考えが突然ちがってきたのであります。ものの相会し相別れる深い意味が一時に上ったのであります。」

ここでいう深い意味とは、どんな小さなことであれ、一つの事象が起きるにあたっては、数えきれぬ原因があり、この世にあって、ものとして互いに影響を及ぼしあわないものは皆無である、といったことです(小説内ではこの結論に関する具体例が色々と提示されている)。

これ、仏教で言うところの「縁起」ですよね。WikiPediaによると、こう説明されています。

縁起(えんぎ、梵: pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、巴: paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。

つまり、小鮒が契機となって、久兵衛は「悟り」を開きはじめるわけです。そして、次のような境地に至ります。

「すべていま会するものは千載の一遇であるという考えが、ふしぎに見るものすべてに愛惜の心をひきおこさせました。」

これ、完全に仏性(ぶっしょう、人の心に潜む仏としての性質)の顕現です。それが証拠に、この小鮒は金色の光を発し始め、その光が天まで達します。久兵衛がその光に包まれて、そこに立ちつくし続ける、というところが物語のラストシーン。

というわけで、子ども向きの小説とは全く思えない作品、むしろ仏教の理解をベースとした仏教説話といった趣の作品なんですよね。この作品、本当に理解できた小学生っているんでしょうか(笑)。もちろん、仏教的な理解にまで及ばずとも、問題にはそれなりに解答できると思いますけれど。

洛星中学は京都の学校ですから、「ウチの家、お寺やねん。仏さんのお話やったら、小さい時からよう聞いてるから、この話でゆうてること、すぐにわかったわ」なんて子もいたのかも。そうだとしたら、恐るべき小学生でございます。

「鮒(ふな)」つながりで、広島カープの話とか、「轍鮒之急」の話なんかも書こうと思ってたんですが、時間切れと相成りました。またの機会とお預かり。