パティ・スミス&ボブ・ディラン – 詩神への忠誠

今し方知った2016.12.05深夜のビッグニュース。

ボブ・ディランがノーベル授賞式を欠席するという話は以前も書きましたが、代わりにパティ・スミスが授賞式でディランの “A Hard Rain’s a-Gonna Fall” (はげしい雨が降る)を披露するとの由。

Bob Dylan – A Hard Rain’s A-Gonna Fall (Audio)

米国の音楽シーンで長期にわたり文学的香気を強く放ち続けているのは、間違いなくこの二人だというのが私の個人的意見。ディランの文学的才能は知る人も多いと思うんですが、パティの方は「ニューヨーク・パンクロックの女王」みたいなステレオタイプで流されることが多いんじゃないでしょうか。

違うんですよね、全然違う。この人の音楽といい、歌詞といい、発言といい、そんな単純なものではありません。すべてが文学的芳香に包まれているんです。だから私は彼女を「女神様」と呼ばせて頂いているんですけどね。

パティ・スミス『バンガ』 | 宮田国語塾

最近感動せし事 | 宮田国語塾

ディランがノーベル賞を受賞するという報が流れた時点で、パティ・スミスの文学的才能も受賞に値するということを書いたのは、日本では私一人だと思うんですが、今回の件を機に、彼女の存在がさらにポピュラリティを持てば良いなと思います。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の意義 | 宮田国語塾

今年6月、とても見たいライブがありました。ビートニク詩人アレン・ギンズバーグの詩を、フィリップ・グラスのピアノをバックにパティ・スミスが朗読するというライブです。

普通、ポエトリー・リーディングを見に行こうという気にはなかなかなれませんが、パティとなれば話は別。是非是非見たい・聞きたいと思ったんですが、ライブは東京のみの開催、しかも土曜日。私、土曜日は朝から晩まで授業が詰まっておりまして、参加は不可能でした。大量の涙を呑みにけり。

実は、ギンズバーグの詩もこの日のライブのために新しく翻訳されていたんですよね。翻訳者は村上春樹と柴田元幸(翻訳家・東京大学教授)。とても贅沢な朗読会だということがお分かり頂けるかと思います。

書いていると、悔しさが蘇ってきましたよ(笑)。それにしても、ノーベル賞当局は分かってるなあ。

<2016.12.20追記>

授賞式の直後に下記の映像を見ました。

さすがのパティも緊張気味で、途中トチってしまうところがあったんですよね。無理もありません。いくら歌詞を見ながらとは言え、この場で長尺の詩をメロディに合わせ朗唱するのはとても難しいことでしょうから。

普通のシンガーなら、おそらくはごまかして先に進むと思うんですが、パティはこう言います(2:10頃)。「すみません、もう一度始めて良いですか?とてもナーヴァスになっています。」そして、続きを歌います。

この素直な謝罪は、ディランへの敬意を示していると思います(朗唱者は詩を改変すべきではない)。しかし、それ以上に「詩」「詩心」「詩神」への敬意と忠誠心の現れでもあるでしょう。

この部分こそが私には大変感動的な場面でした。

Patti Smith – A Hard Rain’s A-Gonna Fall (ceremonia Nobel 2016)