ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の意義

昨日仕事が終わった後、iPhoneでニュースを読んでいて驚きのニュースに接しました。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞です。

どこかのニュースで、小室哲哉氏が昨年「ボブ・ディランにノーベル賞を」とツイートしたことを慧眼と褒め称えていましたが、ちょっとズレた評価です。

欧米のポピュラー音楽が好きな人なら、ボブ・ディランが20年近く前からノーベル文学賞の候補に挙がっているということは有名な話。小室氏もその流れでツイートしただけであって、何も驚く話ではありません(小室氏を貶している訳ではありません、念のため)。

私もノーベル文学賞候補に挙がったというニュースを初めて聞いた頃は、今年こそ受賞か今年こそ受賞かと、楽しみにしていたんですが、なかなか受賞は実現しませんでした。いつしか世間ではそんな話も忘れ去られ、私も興味を失っていました。受賞しようがしまいがディランはディランですから。

そんな中での、青天の霹靂のごときボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の報。専門家ではありませんが、一音楽好き・文学好きとしてかなり意義深いものがあると考えますので、思うところをあれこれと。


思うに、ノーベル賞は、いわゆる「ハイ・カルチャー(上位文化)」を対象としてきた賞です。自然科学や経済学は勿論、自由を志向するはずの文学ですら、その軛から脱することはなかったように思います。

上記のように、ボブ・ディランを候補に挙げつつも、いつまでも受賞させないのは、ノーベル賞自体がハイ・カルチャーの権化であり、上位文化という枠組みから自由になりえないという限界を示している。もし、ディランがノーベル文学賞を受賞することがあれば、それはノーベル賞が「カウンター・カルチャー(対抗文化=主流的・体制的文化への対抗性を持つ文化)」への理解を示す、またはその文化を取り込むという意思表示になるだろう。

クラシックは高級、ロックは低級。オペラは高級、大衆演劇は低級。純文学は高級、娯楽小説は低級。そんな頭の固い二元論は過去のものです。芸術性や創造性の優劣において、ジャンルはあまり意味を持たない時代だと思うんですよね。もしそんな考えでいれば本当に素晴らしいもの・面白いものを見逃してしまう。

そういう意味で、ノーベル賞もいつかはカウンター・カルチャーを許容する日が来るであろう。しかし、ディランの例を見て分かるとおり、その日はまだまだ遠い。そして今はまだ、そのハイ・カルチャー性こそがノーベル賞の存在意義なのかもしれない。

とまあ、そんな風に考えていたわけです(そして最近はそれすら忘れていた)。

ただ、ノーベル文学賞は「サブ・カルチャー(主流文化に対しての副次的文化)」に冷淡だったわけではありません。英語・仏語・独語以外で書かれた文学も多く栄冠に輝いています。個人的なイメージとしては、辺境の文学ではあるが、オリジナリティがあり、かつ、優れた英語の翻訳がある作品なんかが委員会にウケる気がします。ガルシア・マルケスがその典型例。

加えて、ノーベル平和賞の方は結構「攻め」の姿勢を見せますよね。ホットな政治的問題の最中にある政治家や団体にしれっと授賞したりして、反対派にボロカスに言われるのはもう日常茶飯事。

そうしたことを考え合わせると、ボブ・ディランよりも先にノーベル賞を貰ってもおかしくなかった音楽家がいます。それはリントン・クウェシ・ジョンソン(Linton Kwesi Johnson)です。こちらは、あくまで私がそう思っているだけで、誰も言っていないと思いますが。

彼については、以前に少し書いたことがあります。ジャマイカ・クレオール語という独特な言語を操り、詩人として一流であること、ダブやレゲエという第三世界的な音楽をベースとしていること、政治的にかなり踏み込んだ表現・主張があること、大学教授を務め知的階層に属していると目されること、などなどを考えるとかなり妥当な人選であるような気がします。

まあ単なる戯言なんですけどね……。


話をディランに戻します。

先日、高校大学時代の友人にあったんですが、横浜でのディラン来日ライブを観てきたとの由。いいなあ〜。

私は熱狂的なファンというわけではなく、ごくライトなファンなんですが、ずいぶん前にライブを観たことがあります(ディランは来日公演の多い人です)。ライブでは曲のアレンジが大胆なので、演奏が始まってしばらくは何の曲を演奏しているのか分からない。しばらくして、「あ!『All Along The Watchtower』だ!」と気付く次第。しかもあの神経質なカエルっぽい声。いやそれが良いんですけどね。

今でも表現者として現役バリバリなので、どのアルバムも聴くに値すると思いますが、とりわけ私の好きな曲を。どこを切っても若さが充溢しているんですよね。1965年の作品。

Bob Dylan – Like a Rolling Stone

さあ、次は私が女神様と崇めるパティ・スミスにノーベル文学賞を!(実はこの記事で一番言いたいのはこの部分です(笑)。)

ディランの今回の受賞を誰よりも喜んでいるのは、多分ディランの盟友たる彼女だと思うんですよね。

この「Changing Of The Guards」はディランの曲をパティがカバーしているんですが、何度聴いたことやら。美しい詩的世界。

Patti Smith ”Changing Of The Guards”

何はともあれ、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞には深い意義があると思います。ただ、これからもディランはディラン。ノーベル賞なんてどこ吹く風で音楽活動を続けて行くことでしょう。