少し前の話。ふと「せみ(蟬)」という語の語源を知りたいと思い、日本国語大辞典を調べてみました。こういう時、日本国語大辞典に勝る辞書はありません。ちなみに日本国語大辞典は日本最大の国語辞典。全14巻也。
用例中には万葉集の「石走る滝もとどろに鳴く蟬の声をし聞けば都し思ほゆ」という歌があるんですが(読んだことがあるはずなんですが失念していました)、蟬の声を聞いて都のことが自然と思われる、というのが面白いですよね。現代人だと「蟬の声→田舎」という連想の方が普通でしょうから。
用例は他にも源氏物語など色々と挙げてあるんですが、有名なのはやっぱりこれでしょう。「閑けさや岩にしみ入蟬の声」芭蕉、奥の細道です。
さて、知りたかった語源について。いくつかの学説が引用されているんですが、補注に記された次の説が強い説得力を持つように思います。
「せみ」は一説には「蟬」の字音の転じたものといい、一説には擬音によるという。
「蟬(蝉)」という漢字の音読みは「せん・ぜん」。音韻論的に考えて、「ん」という音と「み」という鼻音は親和性が高いわけで、「せん」という言葉が「せみ」に転化したしたとしても何も不思議はありません。
加えて、現代人も蟬の鳴き声を「みーん、みーん」という擬音語で表すことを思えば、日本語の黎明時代に、「ん」の音が鳴き声を表す「み」に入れ替わったと考えることは自然でしょう。
私見ですが、この「みーん」という擬音は羽の振動音ですよね。それなら「ヴィーンヴィーン」の擬音を用いる方がよりリアルな音感をもっているんじゃないか。とすれば、「せみ」は「セヴィ」「セビ」という語になっていてもおかしくは無かったのではないか。昔の日本語に「ヴィ」の表記は無かったから、さすがに「セヴィ」は苦しいにしても、「セビ」は十分いけそうな気がする。
などと思って、地方による発音の相違を説明した欄を読んでいくと、やっぱりありました!と言うより、方言の中でも最大多数派を占めています。具体的には次の通り。
津軽語彙・石川・岐阜・静岡・愛知・南知多・伊賀・南伊勢・淡路・播磨・紀州・和歌山県・和歌山・讃岐・伊予・土佐・福岡・長崎・壱岐・壱岐続・熊本分布相・豊後・鹿児島・鹿児島方言・大隅
これだけの地方で生き残っていることを考えると、「蟬」を「せび」と発音する時代も結構長かったのかもしれませんね。
さて、長い前振りを経てここからが本題。
「蟬」の欄をよく読んでみると、「昆虫の蟬」以外に次のような語義説明があります。
高所に物を引き上げるのに使われる小さい滑車。建築・土木・帆船などで用いられる。特に、和船では帆を上下する身縄をこれに通して作業を容易にする。大型船では身縄の元を船内のロクロで巻き、帆の上下以外に、碇・舵・伝馬船・荷物など重量物のあげおろしにも使う。(以下略)
不勉強で知りませんでした。滑車のことを「せみ」と言うことがあるんだ。特に船舶関係で使うみたいだな。
用例としてはこんな文章が挙げられています。
名語記(1275)六「船のほばしらのさきをせみとなづく、如何。蟬の形をつくりつけたればいふ也」
ふんふん、船の帆先に滑車の形をつけてあるのかな?注意して見たことがないけど、そんなだったっけ?まあいいか……。
というところで私の空想は中断。しばらくは「せみ=滑車」という話を思い出すこともありませんでした。
先月、家族でドライブに出かけました。行き先は奥琵琶湖。個人的にバイクではよく出かける先なんですが、家族ではなかなか出かける機会がありません。素晴らしい場所ですが、乗り物に弱い妻にはちょっと遠いので。
奥琵琶湖の素晴らしさは下記の記事をご覧いただくとしましょう。
その日、たまたま訪れたのが「丸子船の館」。上述の通り、バイクでは何度も前を通りながら、入館したことがありませんでした。一人で博物館に入るのってなんとなく寂しいんですよね。興味を持ちつつ、いつも前を素通りしていました。
ドライブ中に前を偶然に通りかかり、「そうだ!今日はこの博物館を見よう!」ということで衆議一決。
申し遅れましたが、「丸小船」とは、古来から琵琶湖の水運を担った船舶のこと。北陸〜琵琶湖〜京都〜大坂という重要な物流経路は、この船なくして成り立ちません。
資料を見ると、江戸元禄期が最盛期で、1400隻もの丸子船が琵琶湖上を往来していたとの由。中世から江戸中期の大物流経路ですね。河村瑞賢が「東回り航路」「西回り航路」を開拓して以降は、そちらに物流が移り、衰退を余儀なくされたそうなんですが、昭和40年頃までは存続していたという話。
とても興味深い話で、丸小船の実物や装備品、歴史に関するパネルを見て回るのはとても楽しい一時でした。
その際、ある展示を見てびっくり。
「分かった!これが『せみ』なんだ!」
数日前に不思議に思っていた「せみ=滑車」を証明する現物が目の前にありました。
写真を見て下さい。特に右二つの小振りな滑車などは「蟬が木に止まっている」形状に見えますよね。
「なるほど!なるほど!そうだったんだ!」とあまりに私が興奮しているので、息子に不審がられました(笑)。この現物を見て、先述の「名語記」の文章を考えると、よく理解できる気がします。
何かを心のどこかで求めていると、本当に偶然に出会うことってありますよね。おそらくは、今までは何の興味もなく、出会っていることに気付かず見過ごしていたことが、急激に心の中でクローズアップされているだけのことだとは思うんですが、やっぱり感動的です。
ちなみに帰宅してから「せみ 滑車」と検索してみると、訪れた丸子船の館のウェブサイトが一位に出てきました。なにやら「せみ・滑車」の神様に呼ばれたような気がしてブログ記事にした次第。これでよろしいでしょうか、神様?