保田與重郎をいいかげんに読む

9月に入ってからもあれこれと忙しい日々で、本を読む時間もなかなか取れません。もう少し仕事を減らすべきだとは思うんですが、例年うまく行きません。当塾というか私のポリシーは、「太く短い塾運営」ではなく「細く長い塾運営」なので、業容を拡大しようという気持ちは一切ないんですよね。

別教室を開いて塾を拡大すればよいのにと言われることがあるんですが、真っ平御免。有り体に言えば、拡大しても仕事が増えるだけで、それに見合った収入増は考えにくい。そういう事態にはまってしまっている店舗(というかスモールビジネス)を時々見かけますが、経営学の基礎だけでも学んでおけばいいのにと思うことしきり。


話は逸れましたが、最近読んだ書籍の話。上述の通り、時間がないのでお風呂で読書という仕儀に相成る訳でござる(笑)。

保田與重郎はあまり読んだことがない作家だったので、軽い気持ちでチョイス。保田は、第二次大戦後思想的な問題によってパージされたという珍しい作家。私の読んだ随筆集は太平洋戦争勃発時に書かれたものでしたが、思想的には奇矯なものがあるとは感じませんでした。そもそも平成の世の中を生きる人間が、上から目線で戦時中の思想状況を云々するのは間違っていると思いますしね。

ただ、とにかくくどい文体に辟易。三島由紀夫が保田に心酔していたという話は有名ですが、なるほどと思わされます。保田の文体にヒロイック・ナルシシスティックなものまでは感じませんでしたが、この文体にナルシシズムを混ぜれば三島っぽいものになりそうな気がします。

この年齢になってみると、ベッタリと自己陶酔に浸る文体や小説には何の興味も持てません。ましてや忙しくて疲れているのに。1のことを説明するのに10の言葉を弄するような文章はもういいよ。

そんなわけで、保田與重郎の随筆集は3分の2程度読んだところでゴミ箱行きに。保田ファンの方がいたら済みません。

その後で読んだ小川洋子の小説『猫を抱いて象と泳ぐ』は、正に対照的。最近の小川洋子の小説は至芸の域にまで達してきていると思います。同じ小説を何度も読む趣味は私にはありませんが、この小説ならもう一度読んでもいい。

べとつきの少ないあっさりした文体。しかしその隠喩に富んだ文体は無理なく読者を物語世界の中に引き込んで離さない。難解な語を用いている訳ではないのに、深い世界が構築されてゆく。

これぞ私の読みたい小説だと感じ入りました。

またこの小説については別記事にて。