散るからこそ美しい 滅びるからこそ愛しい

日曜日の早朝だけ時間が空きました(というより空けました)。どうせ雨だろうと思っていたら、午前中はなんとか持ちこたえてくれそう。降らぬうちにちょっと花見に出かけよう。

妻も息子も寝ている早朝からコソコソと出かけます。いや、別に悪いことをしている訳ではないんですけれど(笑)。バイクだとどうしても一人だけになってしまうので、不興を買わぬよう朝食時には帰宅しておこうという算段です。

何となくバイクで向かった先は兵庫県の篠山。確かこの時期、あの辺りで桜のトンネルになっているような道があったような。おぼろげな記憶をもとに走ります。日曜の早朝は道もガラガラ。

例年3月に、大阪モーターサイクルショーが開催されるんですが、忙しかったり、タイミングが合わなかったりで、ここ数年見物に出かけることができていません。今年は、3月の連休時開催だったんですが、多忙につき断念。招待券までもらっていたのに〜。はぁ……。

そんな悲しみをバイクの神が哀れたもうたか、早朝の道は極めて快適でした。通行のほとんどない道をスイスイと進みます。暑くもなく寒くもない朝、流れてゆく景色のなかに、時々薄桃色の桜花が混じります。本当に春が来ました。

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(帰り道にみた風景。山肌に咲く桜を遠景として見るのも悪くない。)


日本人って桜に対して愛情、否、偏愛がありますよね。冷静に考えてみると、桜前線がどうとか、桜が散り始めたとか、どうでもいい話です。報道機関が真剣にニュースで取り上げるほどの話題なのか。

そう思う一方で、自分もやはり桜を見て特別な気持ちになることを否定できません。桜を見ると他の花を見るのとは異なる、何か不思議な気持ちが湧き起こる。

ドナルド・キーン先生は、この理由を「日本人は滅び・はかなさが美の本質をなすと考える民族であるから」と説明されています。つまり、桜は短期間ではかなく滅びるからこそ美しい、というわけです。本当にその通りですね。桜が年中咲いているならば、花びらの掃除が面倒臭い、ただの花でしょう。

キーン先生によると、「滅び」を嘆き、それを芸術に昇華することは諸民族に見られることであるが、「滅び」自体を美に欠くべからざる本質だと考える民族は、日本民族だけらしい。

とすれば、日本人には「永遠の美」などというものは受け入れがたいことになりますね。美容整形に否定的な人が多いのも、そうした深層心理と関係があるのかも。

散るからこそ美しい。滅びるからこそ愛しい。その意識は私にもやはり強くあります。そして、その美しさは「花」だけではなく、「命」すべてに存在する。命も滅びるからこそ美しいんだよな……。

などと柄にもないことを、篠山のコンビニでカレーパンをもしゃもしゃ食べながら考える早朝(笑)。

来年こそは、家族で満開の桜のもとおにぎりでも食べてみたいと思います。