日本経済と受験勉強

昨日、期日外投票という形で衆議院選挙(総選挙)の投票を済ませてきました。今週の日曜日は仕事や雑事で忙しく、投票に行く時間が取りにくいためです。

天王寺区役所の期日外投票所は結構な人出。投票前、配布されている選挙公報にじっくり目を通している人が多くいたのが印象的でした。今回の選挙は、「大きな選挙」であり、自分たちの一票が国政を大きく左右するという思いが、どなたにもあるのでしょう。私も前日まで色々考えた上で投票しましたので、16日の開票が楽しみです。


先程こんな記事を見つけました。このブログの趣旨からすると、ちょっと堅すぎる記事かもしれませんがご紹介。

コラム:日本経済を蝕む「モルヒネ中毒」=河野龍太郎氏 | Reuters

詳しくは、河野龍太郎氏の記事をお読み頂きたいと思いますが、極めて乱暴に趣旨をまとめると、「財政政策や金融政策自体に新たな富を生み出す力はない、しかし、この種の政策になぜか異常なほどの期待が寄せられていて危険だ」ということです。個人的には全く同感。

塾・勉強関係に話をなぞらえると、「簡単な小手先の勉強だけで入試に合格する力は付かない、しかし、小手先のテクニックだけでなんとか合格しようという異常な考えをする人が時々いる」というところでしょうか(笑)。

経済であれ、勉強であれ、小手先は通じないですよ。いや、ホントに。経済学の難しい術語を並べられたり、一見科学的なデータを見せられたりすると、引っかかってしまう人がいるんですが、地道に富を増やす、真面目に学力を向上させる、それしかありません。私の知る限り、ハイレベルな受験生や学生は、小さな頃から直感的にそのあたりを察知しているように思います。

上記の記事には、政治学ではとても普遍的なテーマが分かりやすく説明されています。少し難しいかもしれませんが、引用してみましょう。

もちろん、近視眼的な財政・金融政策の大盤振る舞いが政治家によって志向されること自体は、何ら驚きではない。潜在成長率の低下を認めず、必要な改革を先送りし、裁量的政策を駆使することで目の前の経済状況の見栄えを良くするという政治手法は、欧米諸国でも長く用いられてきた。将来世代に負担を先送りする選択がなされやすいことは、洋の東西を問わず、代議制民主主義を採用していることのコストだと言えよう。政治家は、落選すれば「ただの人」になる。低成長を前提とした制度改革は、増税や社会保障給付のカットを通じた歳出削減など有権者に新たな負担を強いるだけなので、回避へのインセンティブが強く働く。だからこそ、先進国はいずこも将来世代への負担押しつけの結果として公的債務の山をこしらえてしまうことになるのだ。

(上記 ロイター コラム:日本経済を蝕む「モルヒネ中毒」=河野龍太郎氏 より引用)

民主主義の根本的な課題はこれなんですね。平たく言えば、「今が良ければそれでよい、後のことは後で考えろ、俺の知ったことではない」という姿勢に陥りやすい、否、絶対に陥るということです。どの先進国も経済的な問題を抱えているわけですが、その大きな原因の一つは「民主主義」というシステムそのものにあるわけですね。

では、非民主的な政体であれば経済的問題を回避できるのかって?まさか!さらに経済的問題は深刻化するはずです。結局、どんな政治形態をとっても、人間は経済的問題から逃れることは出来ないということでしょう(苦笑)。

塾ブログなので、再び勉強になぞらえた話に戻りましょう。

政治だったら、ツケを自分が死んだ後の世代の人々に押しつけることができるけれど、勉強はそうはゆきません。自分のツケは自分が背負うしかない。だから、目先だけにこだわった勉強はやめた方がいい。難しい課題や苦しい課題を先送りにしない方がいい。

そんなわけで、受験生には、「モルヒネ」に頼らず(=安易なヤマ当てなどに走らず)、真面目に勉強に取り組んでほしいと思います。当塾はそうした生徒を一生懸命バックアップ致します。