妙な文章を見つけるととても嬉しい

入試国語の答案を作る際、それほど語感にこだわる必要はありません。もちろん、気を配るに越したことはありませんが、合否に関わるような問題ではないと言えます。

したがって、生徒を指導する際は、あまり細かい点にこだわらず、「解答要素」が備わっているか否かを中心に見ています。


しかし、私生活では仕事柄か、どうしても言葉にこだわってしまいます。特に印刷物になった言葉には目を光らせてしまいます。そして、妙な文章を見つけるととても嬉しくなってしまいます。性格が悪い?うん、そうかもしれない(笑)。

というのも、「なぜその文章が気持ち悪く感じられるのか」とか「どうすればよりよい文章になるのか」といったことを考えるのが楽しいんですよね。

例えば、ついさっき見つけた毎日新聞2015年6月5日深夜付けの記事。サミットの開催地が伊勢志摩に決まったということを伝える記事なんですが、こう記されています。

毎年、政府関係者や皇族が参拝する伊勢神宮を抱える三重県警は「要人警護の経験に慣れている」(警視庁関係者)とも評価されていた。

伊勢志摩サミット:警備優位性が決め手…当初から最有力 – 毎日新聞より引用

みなさんは違和感を覚えませんか?私は覚えます。「経験に慣れる」という表現は、どうも落ち着きが悪いように思えるんですよね。

その原因は「経験」という語の語感にあると思われます。「経験」という単語自体が、「知識や技術を身につける」というニュアンスを持っている以上、「慣れ」という感覚も包含していると思うんですよね。つまり、上記文章には重複感が生まれてしまっている。

私が記者なら、「要人警護に慣れている」または「要人警護の経験が豊富だ」とします。


校閲の入る新聞記事ですらそんな感じですから、一作家のものす文章には、とてつもなく奇妙な表現が混じっていることがあります。(私も大きなことは言えませんが、文章を読んでもらってお金を頂いている訳ではないので、大目に見て下さいね(笑)。)

私がかなりの悪文家だと思うのは、最近まで芥川賞の選考委員を務めていた作家です。NOと言える作家さんですね。

彼は政治家もしているわけですが、その割に(だからこそ?)言葉に鈍感な雰囲気があります。一番驚いたのは彼の記者会見での言葉。

○○党は体たらくだ!

うむむ?意味が分からない。「体たらく」ということばは、「好ましくない状態」を指す言葉ですが、現代語ではまず例外なく修飾語をともなう語です。「散々の体たらくだ」「今年の抱負はどこへやら、もうこの体たらくだ」というように使うわけです。

仮にも作家、裸でこの語を使うなんて何かの間違いだろうと、裏をとってみると、どの記事にも「○○党は体たらくだ!」と記されていました。しかも会見中激高して何回もこの表現を使っていた模様。

恥をかかないように誰か注意してやれよと思うんですが、お山の大将になっていて、誰も進言できないんでしょうかね。もうこの御仁は政治家としても期限切れだなと確信した次第。この記事をご覧の政治家のみなさんは、「○○党は散々の体たらくだ」と言うようにしましょうね(笑)。