皇后陛下の御歌 平成24年歌会始の儀

学生が冬休みの間は本当に忙しくて、なかなかブログを更新する暇がありません。すみません。ようやく冬休みも終了、少しはブログにも時間が割けそうです。

時々、ネタが尽きないか?と聞かれることがあるんですが、書きたいことは本当に山ほどあります。ただ、時間がありません。今日は久々に30分ほど時間ができたので、本日(2012.01.12)行われた「歌会始(うたかいはじめ)の儀」について少々書いてみたいと思います。


以前、皇后陛下の御歌についてブログ記事を書いたことがありますが、色々な方から検索され、ご覧頂いているようです。

皇后陛下の御歌:国語塾・宮田塾のブログ

今年の歌会始のお題は「岸」。このお題から震災・津波を思い起こすなという方が無理があるわけで、天皇陛下、皇后陛下のお二人とも震災にまつわる御歌を詠んでいらっしゃいます。

asahi.com(朝日新聞社):両陛下ら被災地への思い詠む「岸」お題に歌会始の儀 – 社会

天皇陛下御製については、上記リンクを見ていただくとして、今回も皇后陛下御歌について取り上げてみましょう。

平成24年歌会始の儀 皇后陛下御歌

帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

今年の御歌は、被災者、そして大切な人を失った方々への想いを込めたものです。本当にお心の美しさと思いやりがあらわれていて、(少し大げさかもしれませんが)私はモニタを見て思わず涙ぐみました。

大切な人が津波に呑まれる。もちろん二度と帰って来ることはないだろう。頭では分かっている。しかし、それで心が収まるわけではない。冷たい水の中に今もあの人はいるのだろうか。どうしても帰ってきて欲しい。あの人が「帰り来るを」どうしても待ちたい。ゆっくり坐して待つことなど出来はしない。はやる心を抑えられず「立ちて待てる」。

春が過ぎ、夏が来て、秋も去った。厳しい冬もあなたの帰りを海岸で待っている。大切な人の帰りを待つに、どうして「季(とき)」の関係があろうか。「岸」で待つことに季節など関係はない。私の心は、いつもいつもあなたの帰りを海岸で待っている。

皇后陛下の御歌は、苦しくとも頑張ろうと声高に叫んでいるわけではありません。失意の人々にそっと寄り添って立ち、海の遠くを共に眺めています。

こんな説明を御歌に加えるのは野暮なことでしょう。しかし、「歌」というものの本義が「魂の祈り」だとすれば(私はそう思う)、この御歌はまさに今詠まれるべき歌であり、こうした歌を詠むことの出来る皇后陛下は、やはり当代一流の歌人なのだという思いを強くしました。