皇后陛下の御歌

年始や歌会始の頃、新聞には天皇皇后両陛下の御製・御歌が掲載されます。私、とくに皇室を尊崇しているファンというわけではないんですが(もちろん反皇室を叫ぶ活動家でもありません)結構楽しみにしています。

そもそも和歌や俳句(もっと広く言えば詩)って、教えられて詠むものではありません。初歩的な決まり事を教えてもらうことは出来ても、それ以上を教わることは出来ない。ほとんどその人の文学的センスだけによって和歌や俳句は成り立つのだと思います。その人の感性や個性・センスが否応なしに現れ出るわけですから、これほど恐ろしい文学形態もなかろうと思います。

和食の店なんかに行くと、店長が詠んだと思しき和歌や俳句が飾られていたり、箸袋(というんでしょうか?割り箸が入っている袋です)に同様の俳句が書かれていたりすることがあります。

こういう和歌や俳句って、まず間違いなく駄歌・駄句です(笑)。妙な言葉遣いをしていたり、季語がおかしかったり。別に憤慨まではしませんが、書かない方がいいのになぁ、と思ってしまいます。

私? 私ごときが和歌や俳句などを詠むなど、20年早いと思います。せめて還暦を超えないと、詠む気にはなれないですね。

さて、話を皇后陛下の御歌に戻しましょう。

新聞には天皇陛下やその他皇族の方々の御製・御歌が掲載されていることが多いんですが、明らかに皇后陛下の御歌だけが突出しています。他の方々の御歌を貶すわけではありませんが、皇后陛下の御歌は、いずれも平明なのに美しいセンスがきらりと光っています。

検索してみると、宮内庁のウェブサイトに掲載されていたので、いくつかをご紹介しましょう。以下の御歌は同サイトから引用しています。

平成21年にお詠みになったお歌
御即位の日 回想
人びとに見守られつつ御列(おんれつ)の君は光の中にいましき

昨日付の新聞で読みました。詠み人の視線の暖かさがこちらにまで伝わってきます。

平成20年にお詠みになったお歌
北京オリンピック
たはやすく勝利の言葉いでずして「なんもいへぬ」と言ふを肯(うべな)ふ

北島康介選手のことをお詠みになっています。彼が金メダルを取った際に感極まって「何も言えねぇ!」と言ったことは、私もよく覚えていますが、この荒々しくも純粋な言葉を、和歌に昇華しておられます。やはりこの御歌にも、努力を重ね続けた者への暖かいまなざしが感じられます。

平成20年にお詠みになったお歌
旧山古志村を訪ねて
かの禍(まが)ゆ四年(よとせ)を経たる山古志に牛らは直(なほ)く角(つの)を合はせる

禍と直のコントラスト。被災者の復興への強い志が、「直く」「角」という言葉を通じてストレートに伝わってきます。同じシーンをお読みになった天皇陛下御製の御歌を合わせ読むと、皇后陛下の才のきらめきがなお一層お分かりになるかと存じます。

平成21年歌会始お題「生」
皇后陛下御歌
生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ

この年の歌会始のお題は「生」。皇室の方々が「生」のすばらしさを詠まれる中、皇后陛下は唯一「かなしさ」を交えてお詠みになっています。「生とは悲しみ」という大きなテーマがごく自然に伝わってきます。

いずれの御歌も、皇后陛下の美しい文学的センスや、暖かいまなざしが感じ取られるものばかりです。お会いしたことはありませんが、本当に知的な方だろうと想像します。

ご興味のある方は、下記リンクからどうぞ。
天皇皇后両陛下のお歌 – 宮内庁