校長先生のお話ってなぜか長いことが多いですよね。小学校であれ、中学校であれ、とにかく長い。気が遠くなるぐらい長い。
小中学校時代を振り返るに、夏休みなどの長期休業に入る前のお話がとにかく長くてうんざりしていた覚えがあります。もちろん、先生の話は聞かないとならないんですが、授業とは違って、まるっきり内容がない。つまり誰もがわかりきっている内容を延々とお話しになるわけです。
夏休み中は交通事故に気を付けろ、夏休み中は冷たいものを食べすぎるな、夏休み中は知らない人に付いていくな、夏休み中は早寝早起きをしろ、夏休み中は宿題をちゃんとしろ、夏休み中は……、そんなこと誰でも知ってるって!(笑)
生徒の気持ちや体調を知ってか知らずか、いつ果てることもなく続くお話。誰も(多分担任の先生方も)聞いてやいません。ある校長先生などは、「今日は夏休みが始まるにあたって、皆さんにお話ししておくことが少しだけあります。お話を8つにまとめました。」なんておっしゃったことがありました。全生徒が(そして他の先生方も)心の中で、吉本新喜劇のように「ガクッ」とコケていたに違いない。
ちなみに人間の脳が一時に処理したり記憶したりできる情報量には限りがありまして、こういう場では「3つ」が限界だとされています。炎暑の中、しかも小学生が「8つ」もの話を真剣に聞いて、しかも覚えているということは、大脳生理学的にも全く期待できません(笑)。
誰もが聞いていないと分かっている話を延々とするのは、言葉は悪いですが少しズレていると思わざるを得ません。炎熱に耐えられない生徒がバタバタと倒れてもお構いなしにお話しになっている先生に至っては、問題外。
私の高校時代の校長先生は、そこのところがよく分かっていらっしゃった方でして、夏休み前などのスピーチは極めて短いものでした。
「明日から夏休みです。みなさん元気で過ごして下さい。以上。」
所要時間3秒ぐらいでしょうか。生徒達は、やんややんやの大喝采。いつも拍手・口笛で校長先生を称えていた覚えがあります。
だいたい、あれこれ言われなくても、必死な受験生は勉強に邁進するでしょうし、遊ぶヤツはいくら注意しても同じ事。話しても仕方がない場面で、聞いていない人に延々と話を続けることは無意味であるという、一種のプラグマティズムであったと思います。
今考えてみると、これも一種の教育であったなと思う次第。