「勉強の仕方が分からない」#1 の続きです。
次の授業から、A君には、より具体的に指示を出すようにしました。英単語はこうしてノートに書いて覚える。字の大きさはこれぐらい、行の開け方はこれぐらい。書く回数は一単語に付き○○回、かける時間は○○分、必ず声に出しながら書く。終わったら隠して自分でテストする。その時左手はノートのここに置き、右手でここに答を書く。間違った単語は○○回書く。使うペンはこれこれ、再テストの仕方は云々。きりがありませんのでこれぐらいにしておきますが、各教科、各ジャンルにつき、微に入り細にわたって指示を出しました。
で、現れるであろう効果を待っていましたが、全然効果が現れない。というか、そもそもその作業・宿題を全くやってきてくれない。
「A君、勉強の仕方が分からないんだろ。先生達の教えたとおりにやってみてよ。絶対に学力は付くから。先生が保証してもいい。やるべき作業はやらないといつまで経っても分からないままになるよ。いやいや、そんなに悩まなくていいんだよ。言われた通りに機械的にやったらいいだけだから。」
「はい。分かりました。」
返事はいいんですが、一向に作業をやってきてくれない。授業の度に何度も何度も注意するんですが、結果は同じ。声を荒らげたところで、事態は悪化するばかりですから、根気強く注意するしかありません。
そうこうするうち、A君は目に見えて授業に対する集中力を失ってゆきました。居眠りをしたり、ボンヤリとして話を聞いていなかったり、無断で欠席したり。こうした事態が続いた場合、当塾では退塾措置をとっており、そうした措置をとるべきだろうかと考えていた矢先に、保護者様から退塾のお届け出がありました。できれば、退塾措置はとりたくないので、ある意味ホッとしたんですが、A君の勉強のことを考えると心配ではあります。
「勉強の仕方が分からない」と言うからには、やる気がない訳ではないはず。そりゃ勉強が好きとまでは言えないかもしれないが、一定のやる気があるはずの生徒を、どうして上手く指導できなかったんだろう……。しばらく忸怩たる気持ちでいたことを覚えています。
その後、別の生徒が話してくれたところによると、A君は別の塾に通うようになったけれど、成績はむしろ下降中とのこと。普通、環境が変われば、少しの間だけは、やる気が生まれるはず。
(付言しておくと、環境を変えて出るぐらいのやる気は、長くて1ヶ月ぐらいしか持ちません。環境を変えるのではなく、自分を変えないと何も変わらないということを断言しておきます。)
ここに来て、鈍感な私にもようやく分かりました。
A君は「勉強の仕方が分からない」のではなく、「勉強することから降りたい・逃げたい」のだと。
親は、自分のことを気にかけてくれており、他ならぬ自分のために身を粉にして働いて授業料等を支弁してくれている。そして、大いに期待もしてくれている。塾に行けば行ったで、勉強を教えようと手ぐすねを引いているヤツが待っている(笑)。彼らが悪意で自分を苦しめようとしているのではないことはよく分かる。むしろ自分の為を思って頑張ってくれている。
書き遅れましたが、A君は穏やかな性格で敵を作らないタイプ。人にきつく当たるというようなことは決してないタイプです。
こうしたA君が、「勉強なんてもうしたくない」「勉強することから降りたい」などと、親や私たちに言えるはずがありません。誰かを傷つけるのは嫌だからです。といって、自分が悪者になるのも嫌だ。そうした背景から生まれたのが、「勉強の仕方が分からない」という言葉だったのでしょう。
こう考えると、今までの彼の行動や言葉にすべて説明が付きます。彼がこうした心の動きを意識できていたか、それとも無意識だったのかは分かりません。しかし、人間の心理・言動とは精妙なもので、意識無意識を問わず、こうした心の動きは言動に表れることが多いもの。昔大学の教養課程で学んだ心理学(の一ジャンル)を思い出して、「言葉通りに捉えた自分が馬鹿だった、もう少し心理学的に原因を探るべきだった」と反省しました。
仮に、心理学的にA君の真意をくみ取れたとしても、自発的に勉強から降りていく子ども達を引き上げることは難しいので、結果は同じであったかもしれませんが……。
その後、「勉強の仕方が分からない」という漠然とした述懐をする生徒に幾人か出会いましたが、みな判で押したように同じ状況を抱えており、(残念ながら)自分の分析は間違っていないと思うに至っています。
子供から聞かれる「勉強の仕方が分からない」という漠然とした言葉は、かなり危険なサインであり、対処が難しいものだということをご理解いただければ幸いです。